現代にも残る信頼担保集団
中国は商道徳がなっていないと嘆く日本人が多いが、中国でも、優れた商道徳をつくりだしていた商人集団がいたのである。中国で商道徳が廃頽してしまったのは、信頼担保集団をうまくつくりだすことができなかったからである。日本の場合は、近代以降もいくつかの信頼担保集団がつくりだされた。所属企業そのものが信頼担保集団になった。地域の産業共同体が信頼担保集団となっていた。企業間の取引ネットワークそのものも信頼担保集団としての役割を果たしていた。
中国の村落は、日本と比べると流動性が高く、地域コミュニティーの統制力は弱かったが、晋商人を輩出した地域は流動性が低く地域の統制力が強かったという。このような信頼形成は、中国の他の商人集団の間でも生み出されていた。華僑は、それ自体極めて流動性の高い集団だが、その間でも、出身地の地縁関係をもとに同じような信頼関係がつくりだされていた。客家(ハッカ)も同様である。流動性は高いが、その内部で血縁関係をもとにした信頼担保が行われていた。残念なことに、これらの集団の研究は日本のほうが進んでおり、中国の研究者は日本語の文献から学んでいるという。
このようにして取引当事者の信頼を保証する集団を信頼担保集団と呼ぶことができる。その集団メンバーは、その集団の書かれざるルールに従っている限りその集団が持っている信用を社会的共通資産として利用することができる。この集団外の人々も、この集団を利用することで、取引のリスクを減らすことができる。
信頼担保集団が重要な役割を演じているのは、中国だけではない。日本の近江商人も互いの間や商い先の信用を大切にしていた。「売り方よし、買い方よし、世間よし」の三方よしの関係が重視されていたのである。それが近江商人全体の信頼を担保していた。その信用は近江商人集団全体の社会的共通資産となっていたのである。