オイルショックやリーマンショックなど、戦後の経済ショックは18年ごとに起こっている。次のショックが予想される2026年前後までの日本の経済成長を予測する。
日本の成長率が低下した3つの時期
リーマンショックから、2年の月日が経とうとしている。2008年9月15日は、世界の経済史に長く語り継がれる日になるであろう。日本経済にとっても、リーマンショックは1973年のオイルショック、91年のバブルの崩壊と並ぶ、戦後の三大ショックの一つだった。
図は、戦後日本の高度成長が始まった50年代半ばから09年までの日本のGDPの実質成長率のグラフである(内閣府国民経済計算の年度別データ)。
このグラフを見ると、成長率が激しく降下した時期が3つあることがわかる。73年のオイルショック、91年のバブル崩壊、08年のリーマンショックの時期である。そのショックの起きた年の前年の成長率と、そのショックの翌年の成長率を比べてみると、オイルショック時には成長率は一気に9.1%からマイナス0.5%へと、10%近く下落した。バブル崩壊のときには、90年の6.2%成長から92年には0.7%まで落ち込み、93年にはマイナス0.5%になってしまった。リーマンショックの場合、07年の1.8%から09年にはマイナス2.0%へと落ち込んでいる。
奇妙なことに、この3つのショックの間の期間は、18年と17年で、ほぼ同じである。そして、高度成長が始まった56年前後から数えれば、オイルショックまでの期間も、18年。18年とは、経済の一つのサイクルが終わる時間の長さなのであろう。産業発展の波のサイクル時間、といってもよいようだ。
73年のオイルショックは、56年頃から始まった高度成長の発展期の終焉を意味した。それは、戦後の日本産業の発展の第一の波の終焉だった。この時期の日本産業の中心は重化学工業であり、市場の中心は国内であった。91年のバブルの崩壊は、日本産業の第二の波の終焉であった。この18年間の日本の産業の中心は自動車とエレクトロニクスという「高度機械加工最終財産業」であり、発展のための市場の中心は欧米であった。
バブル崩壊からリーマンショックまでの低迷の17年間には、日本産業の第三の波がくるはずだった。私は第三の波が支援型産業(部品・素材)と統合型システム産業(たとえば、通信機器、情報機器など)が中心となり、市場の中心はアジアになる、と考えていたが、その予想は半分しか当たらなかったようだ。産業の中心は自動車と並んで電子部品・高機能素材産業しかなかったというべきであろう。市場も、アジアは伸びてはきたものの、欧米に取って代わるようになるのは17年間の最後のほうだった。
3つの波のそれぞれの時期に、日本の経済成長率は階段を下がるように低下していった。56年からの18年間の平均成長率は9.1%であったが、74年から91年までの18年間は4.1%に下がった。そして、バブルの崩壊からリーマンショックまでの17年間は、たった1.0%の成長しかできなかった。