信仰が近代化した4つの理由

いまだに神を強く信じている人でさえ、アメリカやヨーロッパでは、その信仰が“近代化”している。近代化した信仰には、4つの大きな特徴があると私は考える。

1つ目は、信仰が意識的であることだ。これは、信仰の変遷を専門的に調査しているチャールズ・テイラーも言っている。過去においては、神を信仰するのはごく当然であり、信じないという選択肢を考えることすらなかったが、現代では違う。今、神を信じている人は、意識してそれを選択したのである。信じないという選択肢があることを知っていて、自分は信じることを選択したと公言しているわけだ。

2つ目の特徴は、神を信じる人も、そうでない人と同じく、世界の成り立ち、世界の仕組みについての科学的な説明を概ね受け入れているということだ。信仰心の極めて強い人は確かに、一部に神の関与があると主張してはいるが、そういう人たちでも、日常的な出来事に関しては、神や妖精を持ち出さない科学的な説明を受け入れる。たとえどれほど強く神を信じている人でも、車が故障したときにそれを妖精のいたずらだと考えることはなく、単なる機械の機能不全だと理解する。

車が故障している様子
写真=iStock.com/ljubaphoto
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3つ目は、日常的に多様な宗教に接するということである。自分自身が信仰する宗教を変えたことがなくても、知人の中に宗教を変えた人がいるというのは珍しいことではない。職場や地域社会では、さまざまな宗教を信仰する人たちが共存している。

フランク・マルテラ『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーパーコリンズ・ジャパン)
フランク・マルテラ『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

1950年代にはまだ、配偶者も職場の同僚も、近隣の人たちもすべて自分と信仰する宗教が同じで同じ教会に行っているということは十分にあり得た。しかし、その後、世界の多様化が進んだことで、特に都市においては、日頃からさまざまに宗教の違う人たちと接しながら、それをまったく意識しないというのが当たり前になっている。

4つ目は、たとえ神を信じている人であっても、困難を乗り越え、成功を収めるのに神に頼ろうとは考えないということである。その場合、頼れるのは自分だけ、自分の能力と努力でどうにかするしかないと考える。いちおう、自分の望みを神に話し、祈ることはするが、特に大規模な社会問題をそれで解決できるとは思っていない。

神を信じているからといってお告げを待つようなことはしない

新しい航空機を作ったときには、聖職者に安全を祈ってほしいと頼むかもしれないが、それで本当に安全が確保されるわけではないことを理解している。優秀なエンジニアが設計し、適切な知識と技術のある人たちが日々、点検、整備を繰り返さない限り、安全が確保されることはないと知っているのだ。

私生活上の小さな問題であれ、気候変動や医療の荒廃、政治的分断など、社会の大問題であれ、その解決のためには、確かな証拠に基づいて論理的に解決策を考えようとする。どれほど神を信じているからといって、神のお告げを待つようなことはないのだ。

今は人間の自立の時代である。それが現代と他の時代との大きな違いだ。現代の私たちには神を信じるか信じないかを決める自由があるし、どのような種類の神を信じるのかも自分で決められる。世界観すら現代では個人がそれぞれに選択するものだ。個人がそれぞれに、自分の必要、信念、偏見に合わせて自由に自分だけの世界観を作り上げることもできる。

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