三国志の曹操もひどい虫歯だった可能性も

大麻吸引の起源は古く、紀元前1000年以前の吐魯蕃トルファン洋海ようかい墓地や加依かい墓地では、大麻のタネと葉の粉末がみつかり、儀式や医療で用いられたとされている(※8)。その技術が漢代において、すでに中原ちゅうげんへ流入していても、なんら不思議はない。だが関連史料は少なく、大麻による麻酔技術が民間医療にじっさいにどの程度浸透していたのかはわからない。

ほかに漢代の医書『神農本草経しんのうほんぞうけい』には、歯痛をやわらげる手段として、洗口液・マッサージ・薬草・下剤・針治療が挙げられ、388か所のツボのうち、26か所が歯痛に効くとされている。効くかどうかはともかく、これは、当時の人びとが歯痛を気にしていたあかしである。こうして歯の日常的な手入れが必須となる。

当時の人びとは、しかし既述のとおり、歯ブラシをしない。起床時と毎食後に口をすすぐだけである。後漢時代には「楊枝(※9)」の語もあったが、まえにのべたように、これはおそらく古代インドの歯木のことで、現代日本人がイメージするものとは異なり、しかもそれは中国国内では日常的に用いられていたわけではなかった。すると、ある程度の虫歯は避けようがない。じっさいに、虫歯を意味する「」字の起源は殷代にさかのぼり(※10)、虫歯は大昔から人びとを悩ませた。

たとえば、前漢時代の元帝げんていは40歳未満ですでに歯も髪も抜けおちていたらしい(※11)。近年発見された漢末の曹操墓からは、60歳前後の男性の頭蓋骨が出土し、これまたひどい虫歯である。

中国河南省文物局が曹操の墓「高陵」と確認されたと発表した墓の内部=2009年12月27日、河南省安陽県
写真=AFP/アフロ
中国河南省文物局が曹操の墓「高陵」と確認されたと発表した墓の内部=2009年12月27日、河南省安陽県

現代人と比べて桁違いに虫歯が多いわけでもない

文献によれば、曹操は長らく頭痛に悩まされていたようで、その原因は虫歯かもしれないといわれている。また近年出土したずい煬帝ようだい墓からも2本の歯がみつかり、いずれも虫歯であった。唐代の白居易はくきょい韓愈かんゆといった文人は、わざわざ歯痛の詩さえつくっている(※12)

ひとたび歯を失えば、食べられるものもかぎられてくる。歯をなくした老人のなかには、女性を乳母として雇い、母乳を飲んだ者もいた(※13)。さもなくば、歯のない老人は飴をなめるのも手である(※14)

このように古代中国の人びとは虫歯に悩まされていたが、白骨遺体やミイラの歯をさらに収集して数えると、虫歯の数は現代日本と比べて多いことは多いものの、けた違いに多いというわけでもなさそうである。

たとえば、馬王堆まおうたい漢墓出土のミイラは、長沙王国丞相の妻であり、身長154センチメートル(以下cm)、重量34.3kgである。彼女は50歳頃に、冠状動脈疾患・動脈硬化症・多発性胆石症を患い、住血吸虫病に感染し、蟯虫ぎょうちゅう鞭虫べんちゅうさいなまれながら死んだ。

彼女の口のなかをのぞくと、永久歯(親知らずをのぞく28本)は16本残っている(※15)。現代日本の60代の女性が平均21本程度なのと比べれば少ないものの、全部が虫歯というわけではない。