「栄華を極めて国はほろびる」

ここで談志の少年期を想像してみましょう。

育ち盛りのあの忌まわしい戦争体験が後の談志の人生にも多大なる影響を及ぼすことにもなりました。今年で入門がちょうど30年になる私ですが、今振り返るとまだバブルの余波というか、景気の良さが残っている入門当初の時期に「日本は貧乏が似合っている」「あの頃は国中が貧乏だった」と、頻繁につぶやいていたものです。

「日本は貧乏が似合っている」なんて、一見「みんなで貧乏になって廃れてしまえばいい」などという過激で厭世的な主張なのかと誤読されがちですが、決してそうではありません。これもよく言っていた「貧乏で国はほろびない。栄華を極めて国はほろびるんだ。ローマ帝国を見よ」というセリフを補助線に「超訳」すると、好景気で浮足立っている人たちに対する冷ややかな目線が光ってくる感じがします。

「バブルが残したものは何か? 金持ちになって何をした? 海外へ女遊びに行ったぐらいだろ」とも落語会のマクラでも揶揄やゆしていました。「俺たちは戦後の焼け野原からあそこまで立ち直ったんだ」とキラキラしたまなざしで、悲惨な環境から復興してゆくこの国の底力を見届けた談志からしてみれば、裕福な場所からではなく「貧乏というマイナスなスタート地点から出発すべきだ」という現代人への叱咤しった激励にも聞こえてきませんでしょうか。「俺がお前にしてやれる親切は情けをかけないことだ。欲しけりゃ取りに来い」という言葉も前座の後半期によくいわれたものでした。

「自作の持ち帰り容器を持ち歩く」談志ドケチ伝説

そして、戦後の貧しい時代に生まれた談志は非常にケチでした。

袋に入ってるミカン
※写真はイメージです(写真=iStock.com/design56)

前座の入門当初、談志がなめかけていたのど飴を、もうなめ終えたものだと思って捨ててしまったことで怒鳴られたことがありました。「バカ野郎、なんてことするんだ。まだなめられたのに」と、のど飴を喉から手が出るほどに惜しんでいたものです。

私の真打ち昇進パーティーの会場で出されていたピラフは「談志パック(談志の絵と「食べ物は大切に」などと書かれたオリジナル容器)」に入れて持ちかえり、炒め直しては食べ続けていましたっけ。滞在先のホテルに置かれていた小さな石鹸を「ミカンを入れるオレンジ色の網」に詰めて大事に使っていたものです。まさに「ネット(網)」を当時から駆使していたのです(笑)。

もうここまでくると、ケチというマイナス評価を通り越して、談志のキャラにまで昇華してもいました。