日本に差別はないのだろうか。作家のアルテイシアさんは「日本は同質性が高い社会なだけに、特権的な立場にいる人がそのことに気づきにくい。テレビやメディアから差別や偏見を刷り込まれて育っていて、無意識の差別がはびこっている」という――。

※本稿は、アルテイシア『モヤる言葉、ヤバい人』(大和書房)の一部を再編集したものです。

オフィスで会話するチーム
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「私はアジア人に偏見がない」と言われたら

「私は同性愛に偏見がないから、ゲイの男性と友達になりたい」

数年前、女友達のこの発言を聞いてモヤった。SATCのキャリーとスタンフォードみたいな関係に憧れる女性は多いだろうし、その気持ちはわからなくもない。「これってモヤる言葉?」と首をかしげる人もいるだろう。そこで私がなぜモヤったのかを解説したい。

まず「ゲイの男性と友達になりたい」という言葉を当事者が聞いたら「あなただから」ではなく「ゲイだから」と受け取るだろう。「自分のことを1人の人間として見ず、都合のいい役割&ステレオタイプなイメージを押しつけている」と感じるんじゃないか。

また「私は同性愛に偏見がないから」には、無意識の偏見や差別意識が潜んでいる。

ドイツに住んでいた女友達が話していた。「ドイツでは女性差別を感じることはほぼなくて、そういう意味では住みやすかった。でも、人種差別を感じることはよくあった」と。たとえば「私はアジア人に偏見がないから、あなたと友達になりたいわ」と善良なドイツ人たちから言われたそうだ。

発言した側に悪気はなく、自分は差別なんてしないと思っているのだろう。でも言われた側は「あなたは私とは違う、本来は差別されるマイノリティだけど、受け入れてあげますよ」というマジョリティの上から目線&傲慢さを感じる。「自分は偏見がない」と自称する人の方がむしろ、無意識の偏見や差別意識に鈍感なんじゃないか。

ちなみに「僕は女性差別なんてしません、むしろ女性の方が優秀ですごい、男はかないませんよ!」とやたら持ち上げる男性がいるが、これも目の前の相手を対等な1人の人間として見ていないのだ。