人は自分が持つ特権に気づきにくい

前出の友人がドイツに住んでいた頃、ドイツ人の夫とレストランに行った時と日本人の友達と行った時では、店員の態度が違ったという。その話を夫にすると「気にしすぎじゃない?」「きみはちょっと敏感すぎるよ」と言われたそうだ。そうやって気にせずにいられること、鈍感でいられることが特権なのだ。そして、人は自分の持つ特権には気づきにくい。

かくいう私もかつては無知で鈍感で、過去を思い出すとグレッチで首をはねたくなる。たとえば、20代の私は職場で後輩女子に「彼氏できた?」「どんな男子が好み?」とか平気で聞いていた。世の中には多様なセクシャリティの人々がいるという認識が足らず、みんなが異性愛者で恋愛を求めているという前提で、性的マイノリティの存在を無視するような発言をしていたのだ。

そんな過去を反省しているが、今だって気づかずに誰かを踏んでいるかもしれない。そうならないために次の文章を胸に刻みたいし、なんなら写経して寺に納めたい。

アメリカで行われている特権に気づくための授業

太田啓子さん著『これからの男の子たちへ』の対談の中で、小学校教師の星野俊樹さんが次のように話している。

「特権と抑圧を実感できるアクティビティとして、簡単にできておもしろいものを紹介しますね。まず、スクール形式で机が並んでいる教室で、黒板の前に大きな段ボール箱を置きます。生徒に一枚ずつ紙を配って、その紙に名前を書いて丸めたボールを、自分の席から投げて段ボール箱に入れてもらう。そうすると、前の席の生徒は簡単に入れることができますが、後ろの席の生徒は容易に入れられない。そのうち、こんなゲームは無意味だといって投げるのをやめる生徒も出てくる。

最後に、座席から黒板までの距離が何を意味すると思うか、と生徒に投げかけます。

前方に座っている生徒は、シスジェンダーでヘテロセクシャル(異性愛者)の男性や、経済的に恵まれた家庭環境などの特権をもった人で、後ろに行くほどそうではない境遇の人ということになる。そう説明すると、多くの生徒が直感的に理解してくれるそうです。アメリカなどではこういう実践が「社会的公正教育(Socal Justice Education)」として研究され、学校でもおこなわれているんですね」

これを読んで「ワイも段ボール箱を持ち歩こかな」と思った。自分のもつ特権を自覚するために、日本の学校でもぜひ導入してほしい。