かつて「保毛尾田保毛男」で笑った無知な自分

1976年、温暖な近畿地方に生まれた我は、まともな人権教育やジェンダー教育を受ける機会がなかった。おまけにテレビやメディアから、偏見や差別を刷り込まれて育った。とんねるずの番組で保毛尾田保毛男が流行った時、中学生の私は“おもしろオカマキャラ”のモノマネをして同級生と笑っていたが、それは私が無知な子どもだったからだ。

2人の女子中学生が談笑している
写真=iStock.com/paylessimages
※写真はイメージです

当時は「この教室の中にもセクシャリティに悩む人がいるかもしれない」と想像できるだけの知識がなかった。それで無意識に差別する側になっていたことを反省している。

人は過去の間違いを反省して、学ぶことができる。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に石を投げなさい」とイエスに言われたら、私は「すみませんでした‼」と石板の上に土下座する。

世の中に一度も間違ったことがない人なんていないだろう。間違ったことがない人しかジェンダーやフェミニズムを語ってはいけないとなると、誰も語れなくなる。自分の間違いを認めて、反省すること。人の意見に耳を傾け、真摯しんしに学ぶ姿勢が大切なのだ。

一方、差別発言が炎上しても「俺は間違ってない!」と開き直り「こんなに叩かれていじめだ!」と被害者ぶる人がいる。なぜ批判の声が上がったのかを考えないから、同じような発言を繰り返すのだ。また「差別する意図はなかった」と言い訳しつつ「誤解を招く発言をフンガフンガ」と謝罪する人もいるが、謝罪よりも勉強してくれと言いたい。差別についてちゃんと学ばないから、同じような(略)。

私もかすみ目の中年だが、こつこつ本を読んだりして勉強している。かすみ目に効く目薬があったら教えてください。

モヤる発言をした友達と率直に話し合った

「LGBTは生産性がない」「(同性愛が広がれば)足立区が滅びる」みたいなドストレートな差別発言をされたら、こちらも真正面から怒れる。対処のしようがある。

むしろ仲のいい友人に微妙な発言をされる方が、モヤモヤしてしんどい。だけどモヤれるのは、自分がアップデートしている証拠なのだ。差別に敏感でいる方が、無意識に誰かを傷つけずにすむ。

「私はゲイに偏見がないから」と発言した彼女は大切な友人だったので、ちゃんと説明することにした。

「私も保毛尾田保毛男で笑ってたから、人のこと言えないんだけど。でもこの前の発言は気になったんだよね」

「『私はアジア人に偏見がないから友達になりたい』と言われたら、どう思う? もし私が言われたら、無意識の差別意識やマジョリティの傲慢さを感じると思う」といった具合に説明すると、彼女は「たしかに……」と深くうなずいて「私は同性愛の人に会ったことがないから、当事者の気持ちや苦しみがわからないのかも」と続けた。

そこで「実際は会ってるかもしれないよ」と返すと「ああ、そうだね。カミングアウトしてない人も多いもんね。私はそういう想像力もなかったから気をつけるわ、ありがとう」と言ってくれた。