「他人に依存するより自分で生命を終わらせたい」
オランダの元最高裁判事、ハイブ・ドリオン氏は、1991年に、「高齢者が自殺薬を保持する権利」を求める論文を寄稿した。それ以来、そうした薬は「ドリオンの薬」と呼ばれるようになったという。
三井氏は、ドリオン氏に2000年にインタビューを行っているが、氏はそのとき、「人間として、尊厳を持って死にたい。他人に依存して生き存ながらえるより、致死薬をもって自分で生命を終わらせたい」と語ったという。ドリオン氏は、尊厳と他人に依存することを対比させている。他人に依存することは、個人の尊厳を損なうことになるというのである。
どうしてそういう考え方が生まれてくるのか。京都大学名誉教授で産婦人科医である星野一正氏は、「オランダで、安楽死の容認はなぜ可能なのか」(『時の法令』1650号、2001年9月30日発行)という論文で、そうした考え方とオランダの国民性との関連について述べている。
オランダでは、18歳で成人となるのだが、「成人となった息子や娘は、親の家から独立して個人として、自己決定権を行使して自由に生活をするのが、当たり前」とされている。そして、「成人した子供は、親の家を出るので、年老いた親と同居して世話をする習慣がない」というのである。
では、年老いた親は、自分の世話ができなくなったときどうするのか。その際には、「買い取りマンション」「ワンルーム・マンション」「レストハウス」「ナーシングホーム」など、ケア付きの住宅が集まった一戸建てのビルなどに移ることになり、最期は定められたホームドクターが看取ってくれる。生活面の他のケアもあり、その結果、オランダでは自宅で亡くなる人間が多い。ただ、働いている間は、「驚くほど高率の所得税などを」収めなければならないのである。
家族の介護が当たり前の日本とは根本的に違う
老いても、子どもに介護されることはない。介護してくれるのは他人だが、それを望まない人たちがいる。彼らは、自立して生きることを第一に考えていて、他人に依存することをよしとしない。そこで、自立した生活ができなくなると、安楽死を望むのである。
日本でも、介護保険が導入され、高齢者のケアは進んでいる。しかし、オランダほどには進んでいない。福祉国家の典型とされる北欧などでも事情はオランダと同じだろう。
日本では逆に、家族が、介護の中心となり、介護される高齢者も、それを受け入れ、望む。介護されるようになったからといって、自分の自立が脅おびやかされ、人間としての尊厳が失われたとは考えない。
日本で安楽死の合法化に向けて動いていかないのも、こうしたことが関係している。個人としてのあり方が、合法化されている国とは根本的に異なるのだ。
そしてこのことは、在宅死、あるいは在宅ひとり死や孤独死の問題とかかわっていくのである。