夫を亡くした悲しみだけでは安楽死は認められない

スイスでも事件は起こっている。

2019年10月17日、ジュネーブの裁判所は、フランス語圏の自殺幇助組織エグジット(EXIT)の副支部長で医師のピエール・ベックに対して、健康な女性の自殺幇助を行ったとして有罪判決を下した。120日の執行猶予付き罰金刑だった。

事件が起こったのは2017年4月のことで、医師は致死量の鎮静催眠薬ペントバルビタールを当時86歳だった女性に処方した。催眠薬は女性本人が服用している。女性の夫はすでに亡くなっており、深い悲しみにあるというのが自殺の理由だった。

この女性は、深い悲しみに包まれていたとしても、病にかかっているわけではなかった。それでは安楽死の要件はまったく満たしていない。裁判所は、そうした実存的な理由での自殺幇助は認められていないと判断したのだった。

有罪とする上で決定的だったのは、この医師が、他の医師から助言を得ていないことだった。自殺幇助を行う際には第三者の医師に診断を求める必要があった。ところが、医師はそれを怠った。医師本人も、「エグジットの自殺幇助基準を少し上回る」行為だったことを認めていた。

病院と医療
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精神疾患を抱えた人の安楽死を巡る是非

実は、NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日)で取り上げられた日本人女性の自殺幇助を実際に行ったエリカ・プライシック医師も裁判にかけられている。容疑は、2016年6月に行った自殺幇助に関するものである。対象となったのは精神障害に苦しむ60歳代の女性で、検察は、プライシック医師は精神科医の助言を得ないまま自殺幇助を実行したとして5年の懲役刑を求刑した。

その女性は、最初エグジットの方に自殺幇助を依頼した。ところが、エグジットは、彼女が精神科医の診察を拒否したということを理由に、自殺幇助を認めなかった。

そこでプライシック医師に依頼したわけだが、彼女は、女性がしっかりとした判断力があると考えた。別の医師も、それに同意したが、その医師は精神科医ではなかった。

自殺幇助で亡くなった女性を死後に調べた大学の精神科医は、女性は重度の鬱病と身体障害に苦しんでおり、自殺幇助を求めたのは精神病の結果で、合理的な判断にはもとづいていないという報告を行った。これで、検察はプライシック医師を起訴した。

裁判所は、この件についてはプライシック医師を無罪としたが、自殺幇助に用いる薬を適切に管理していなかったとして、執行猶予付きの15カ月の禁固刑と罰金2万フラン(当時のレートで約200万円)を科した。さらに裁判所は、プライシックに、今後4年間、精神的な疾患を抱える患者に対する自殺幇助を禁止した。

その後、2021年の控訴審では、薬の管理にはやはり問題があったとし、有罪判決が支持されたものの、執行猶予付きの懲役刑は破棄され、罰金も減額された。そして、精神的な疾患を抱える患者に対する自殺幇助の禁止も解除された。