ネット情報が導く「うつ病」という着地点

次に②。人は自分の心が不安定になり上手く機能しなくなってしまっても、それがどのような状態になっているかを的確に把握することが難しい。先入観や思い込み、周囲からの暗示や雰囲気、世間の風潮、情報操作や宣伝戦略などに容易に左右されて、思いがけないところに〈わたしの不調、わたしの生きにくさの正体はこれである〉という着地点を見出してしまう。

そのような(考えようによってはイージーかつ便利至極な)着地点は、時代とともに移り変わってきた。たとえば神経衰弱、病気不安症ともいわれるヒポコンデリー、ノイローゼといった具合に。トラウマやPTSD、解離性障害などが着地点となったこともあった。そしてつい最近までは、うつ病がそれに該当していたようである。

さらにネットによる情報は、必ずしも誤ってはいないかもしれないがニュアンスがまるで違ったりする。そんな情報が伝言ゲームで変貌を遂げ、「気持ちがすっきりしなかったらうつ病」「つらかったり気が進まなかったらうつ病」「自分らしく生きられなかったらうつ病」といった具合に、とにかくうつ病ということにすれば話がまとまる、といった流れになってしまったようである。いずれ次なる着地点が出現することだろう(もしかするとそれは、発達障害かもしれない。発達障害を抱えているがそのぶん傑出した才能を持つキャラ、といったノリで)。

順調な人生の「遅れてきた反抗期」かもしれない

ことにまだ若い世代の新型うつ病患者が、欠勤だの病欠だのを繰り返しているうちにリストラされてしまうケースは珍しくない。せっかく入社した上場企業から馘首かくしゅされたりしたら、さぞや気落ちしてそれこそトラウマ体験になるのではないかと心配しつつ観察していると、少なからずの人たちが案外と平気な顔をしているのである。むしろ「せいせいした」ようにすら映ったりする。なぜそんな奇異な顛末になるのか?

こういった人はそれまで比較的順調に人生を歩んできた場合が多いようだ。挫折知らずなわけで、それはそれでめでたいのかもしれないけれど、どうやら当人はそんな無難な道筋に釈然としないものを感じているらしい。親の意向で人生を歩まされているみたいな違和感を覚えている。

そうなると、新型うつ病を患って会社を辞めること(すなわち親や周囲の期待を裏切ること)が反抗期に近い意味合いを帯びてくるのかもしれない。さらには少々飛躍した論であるように聞こえるかもしれないが、しばしば新型うつ病と、それによってもたらされる人生の変化という組み合わせが、ある種の通過儀礼に近い役割を果たしているようにも感じられるのである。実際にはそこまでシンプルな絵解きにはならなくても、根底の部分にはどこか遅れてきた反抗期ないしは通過儀礼に近い意味合いが新型うつ病には託されがちな印象がある。