新型うつ病の3つの特徴
新型うつ病に対して少々辛辣な語り口で述べたが、だからといって新型うつ病を詐病だとか「あてつけ」であると言っているわけではない。要点を挙げてみよう。
② 誤ったニュアンスの情報(おおむねネット経由)に基づいて彼らは行動しており、それは彼らが騙されていると解釈することも可能だ。
③ 新型うつ病の患者全員が「うつ貴族」というわけではない。
以上の三点である。
まず、①について。確かに、彼らは「本当につらい、どうにかしてほしい」と思っているのである。だが周囲の人にしてみれば、「その程度のことで音を上げて、それどころか病気だなんて言い出すとは呆れたものだ。世間を甘く見るのもいい加減にしろ。お前が病気だとしたら、俺はもはや瀕死の重病人だ」と腹が立つ。
それもまあ無理からぬリアクションだろう。ましてや病欠中に自宅でゲームに興じたり遊びに行ったりすれば、なおさらである。病欠をされるとそのぶんを周囲がフォローせざるを得なくなるのが通常のパターンだから、なおさら腹が立つ。
興味があるのは抗うつ薬と病気休暇
精神科医は、原則として患者に説教はしない。それは気の持ちようだよ、と話を逸らすこともしない。まずは本人の主観をそのまま受け止める。といって患者の言うことをすべて額面通りに、無批判に信じ込むこともしない。
もし当人が世間を甘く見ているがゆえに「苦しい」と訴えているなら、それはそれで確かに苦しいのだろう、だが世間の基準からあまりにもかけ離れた尺度で当人が苦しいと主張しているのだから、そのかけ離れ具合にこそ病理が宿っていると考える。それゆえに彼らをとりあえず病人と見なし、対症療法的に対応して信頼を獲得しつつ、彼らの病理へ徐々にアプローチを図っていく。それこそが本来の治療のあり方である。
しかし新型うつ病となる人たちは、往々にして自分が望む抗うつ薬の処方や、病気休暇の取得などにしか興味がない。つまり患者側が主導権を握りたがるのである。あるいは、世間の非情さや会社のブラックさ、社会の残酷さによってもたらされる「犠牲者としてのうつ病患者」という、ドラマチックな立ち位置を求めたがる。
精神科医による根本的なアプローチはむしろ避けたがる。医師は無理強いなどできないから、とりあえずそのような彼らを容認しているうちに、いつしか精神科医が新型うつ病患者に怠けるためのお墨付きを与えているかのような事態になってしまう。
考えようによっては、新型うつ病の人たち(の一部)は自分勝手でズルいのである。弱いくせに図々しい。けれども、同時に彼らはあまりにも世間知らずでしかも視野が狭い。ネット情報に従えば治ると思っているし、周囲の人たちの気持ちなど想像もできない。メンタルは子どもに近いと考えたほうが賢明かもしれない。いささか傲慢な虚弱児ではあるかもしれないけれど。