<月刊文藝春秋11月号に掲載された矢野康治・財務事務次官の論文「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」への反論を、米エール大学名誉教授で元内閣参与の浜田宏一氏が寄稿した:浜田宏一>
日本の財務省
写真=iStock.com/7maru
コロナ禍の国民の暮らしが大事か、財務省の権限が大事か

財務省の矢野康治事務次官が日本の財政事情を憂い、「このままでは国家財政は破綻する」という論文を『文藝春秋』11月号に発表した。官僚のいわばトップの位置にある者が、財政の基本問題について率直な意見を表明したことで注目を集めている。同論文は「人気取りのバラマキが続けばこの国は沈む」と、新型コロナ禍で緩くなった財政措置をいさめ、その理由として、

(1)日本政府の財政赤字、債務超過は世界でずば抜けて悪い。
(2)このままでは日本の財政は破滅する。タイタニック号が氷山に近づいているのを皆気づいていない。

ということを諄々じゅんじゅんと説いている。

しかし内容についてみると、矢野氏の論文の暗黙の前提条件と経済メカニズムの理解に関しては多く問題があり、同論文の主張に従って財政政策を変えれば、かえって国民のためにならないと憂慮せざるを得ない。

第一に矢野氏が前提条件とする日本の財政事情が世界で最悪だとする事実認識は間違っており、第二に、同氏の論拠とする政府の貸借勘定も家計と同様にバランスせよという考え方はマクロ経済学上も誤っている。そして第三に、矢野氏の念頭には財政バランスが先行して、コロナ下で苦しむ国民の福祉を上からの目線で見るところがある。同論文の内容は、財務省に昔から伝わる「役所の勝手な論理」をそれが絶対的に正しいかのように信じて主張する文書としか見えない。

要するに、矢野氏の論文が警告する「タイタニックの近づく氷山」そのものが虚構なのである。コロナ禍で今の世代は生死にかかわる限界状況に直面しているのに、矢野氏の言う「ワニの口を閉じよ」とは、予算の帳尻を合わせよといっているに過ぎない。財務省の利害、予算のバランスが国民の真の福祉よりも優先されることになることを私は真剣に恐れる。

古代史には、立派な古墳が残り壮大な治水事業も行った仁徳天皇の「民のかまど」という逸話が残っている。あるとき仁徳天皇が小高い山に登ってみると、民のかまどから火や煙が上がってこない。天皇は「民の暮らしがよくないことがわかったので、(そのころの税の役割をしていた)労役を3年間免除する」と命令した。そのおかげで、天皇の宮殿は荒れ果てて雨漏りもするようになった。3年後、再び民家を眺められると、煙が上がっていて喜んだが、仁徳天皇はそれでも労役の軽減を続けたという。これは福祉国家のアイディアが日本では古代から存在したことを示している。矢野論文を読む限り、仁徳天皇のような民に対する思いやりは全く見られない。現代の官僚は、国民の暮らしより政府の台所の方を優先しようとしているしか思えない。