陽性者減少を説明できない専門家
未知のウイルスだったのにもかかわらず専門家と呼ばれる人々は、
幸い、日本は欧米のようなロックダウンをしないで、やり過ごすことができました。それでも危機には陥ることはありませんでした。すでにコラムをお書きした通り、日本では“ユルユル対策”が正解だったと言えるでしょう(注6)。
PCRから簡易抗原検査にすれば騒ぎもおさまり、地方経済も戻るだろうと県知事さんや市町村長さんの会議でお伝えしたのも1年ぐらい前のことです。懐かしい思い出です。私なりに現状を整理してみました。
☆日本では最初から世界に比して少ない被害でした。日本には調査方法によっては集団免疫形成の兆候があり(注7)、さらに流行の波のたびに免疫を獲得していきました。ワクチンも追加されました。
☆中国では2019年の夏ごろから流行り始めたかもしれないとも予測されています(注8)。国内にすでに持ち込まれ2年以上経過し、5波では、はっきり陽性者数と死亡者数の間に大きなリンク切れが観察されました。
☆これから被害が急に増大することは考えにくいと予想します。被害が急増するようなら突発的な別な要因が働いたときです。
長期自粛が招いた“社会の副反応”
私たちは長期にわたって自粛を求められてきました。新規感染者を減らすことに偏ったことが原因です。さらに自粛は日本社会に深刻な影響を与えました。
私は、来院する患者さんとよく会話をします。なかでもうつになりながらも、飲食業を守った40代後半の男性のお話が印象に残っています。
男性は、奥様と一緒に店を切り盛りしながら、東京下町の1号店を皮切りに10年かけて渋谷などの繁華街に店を徐々に展開していきました。しかし、緊急事態宣言で状況は大きく変わりました。客足は途絶え、デリバリーに変更しようにも、お金をかけたしゃれた内装をお客さんが楽しむ形態でしたのでムリがありました。店舗を閉じるたびに男性は落ち込んでいくのが伝わりました。うつの治療も開始しました。
奥様につらくあたるようになり、手塩にかけた従業員は店を離れていきました。みんなで作り上げた店が壊される、そのつらさは尋常ではなかったそうです。
下町の1号店だけは何とか残すことができたそうです。しかし、開店休業の状態。「原点を考えたんですよ。何が原点なのかって」と奥様と涙ぐむ姿は、長期自粛を私たちに求めた専門家の誤った選択の結果だと思います。