なぜ、稼げる実業団ではなく、稼げない高校・大学を希望するのか
ケニア人にとって「走る」ことは一獲千金の夢につながる数少ない手段のひとつだが、稼ぐことができるのは一握りしかいない。しかも、コロナ禍などで大会が中止になると、出場料や賞金で稼ぐプロランナーは収入がなくなってしまう。その点、日本の実業団に入ることができれば、安定したサラリーを受け取ることができる。
しかし、ニャフルルに住む若者たちのマインドは近年変わりつつあるようだ。
「現在の実業団チームはケニア人選手だけでなく、日本人選手のレベルも上がっていることを選手たちも知っているんですよ。結果が出なければ、クビになります。その状態でケニアに帰国しても、なかなか仕事がありません。昔の生活に戻ってしまいます。でも日本の大学に進学すれば、競技をしながら学位も取れる。大学を卒業して実業団に行ければハッピーですし、日本語を話すことができて資格やスキルも身につけば、帰国した後も仕事の選択肢が増える。長期的なことを考えて、日本の高校、大学に行きたいと考えている選手は多くなっています」
日本の高校・大学に選手を送っている柳田さんはケニア人選手のセカンドキャリアについても考えるようになった。日本では出身地の徳島県阿南市の地方創生事業のひとつとして「外国人の雇用促進」の活動に従事し、ケニア人選手の就職先をあっせんできるような環境整備に力を注いでいるのだ。
「私の地元に来る外国人技能実習生は日本語をほとんど話せないケースが多いですけど、高校・大学を卒業したケニア人留学生は日本語をある程度話すことができて、文化や習慣も理解しています。実業団チームに入る走力がなくても、企業で手に職をつけることで、ケニア帰国後も大きな武器になります。徳島には市町村対抗駅伝もあるので、走ることで企業のPRにもなる。地元の子供たちに陸上教室を行うことで国際交流にもつながります。日本に送って終わりではなく、競技引退後のネクストキャリアまでサポートしたいんです」
好奇心からスタートして、アクションの連続が新たな仕事を生み出している。人生何が起こるかわからない。柳田さんの生き方は人生100年時代を生きるビジネスパーソンの“ネクストキャリア”の参考になるかもしれない。