やるべきことをやるのに「モチベーション」は関係ない
2年ほど前、ある支援先企業の経営会議で実際に私が経験したことだ。
営業部長が社長にこう反論していた。
「社長、目標を絶対達成しろとあまりにうるさく言うと、若い子たちのモチベーションが下がります。もっとソフトな言い方をしてくれませんか」
社長が腕を組んで黙っていると、総務部長も同調した。
「ノルマ主義だと思われたら、社員の反発は大きくなりますよ。実際に現場からそういう声をよく聞きます」
営業部と総務部の責任者からそう迫られ、社長は「少し考えさせてください」と返した。私がその場にいなければ、社長は2人から説得されていただろう。
営業部長と総務部長は60歳を超えている。一方の社長はというと、3代目で事業を承継したばかり。まだ40歳で、20歳以上の差がある。重鎮からの圧力は大きなストレスになっているようだ。
経営会議の後、自動販売機の前で缶コーヒーを飲みながら、そこにいた2人の営業に声をかけた。入社3年目と4年目の若手だ。
私は彼らに「モチベーションって言葉、今も使うのかな」と問いかけた。
すると「使います」と、すぐさま返ってきた。
しかし、そのうちの1人はこの言葉を足すのを忘れなかった。
「だけど……やるべきことをやるのと、モチベーションは関係がないです」
「やはりな」と思った。
習慣とは本人にとっての「あたりまえ」
ビジネス用語としてのモチベーションの意味は、「あたりまえのことを、あたりまえにやるだけでなく、それ以上の行動をとるために必要な心の動き、意欲、動機付け」だ。
たとえば「朝9時に出社する」「お客様と約束した11時に訪問する」「1時間で20個の組み付け作業をする」「夕方6時までに納品する」……このような事柄が、もし「あたりまえ」になっているのであれば、当然モチベーションとは関係がなく人は動く。
朝の出社時刻が決まっているとしよう。その時刻から逆算して身支度をし、電車の時刻を調べて乗り、会社へ出かけるのにモチベーションは必要ない。
自動販売機の前で立ち話をした若手営業が言った通りである。
「やるべきことをやるのと、モチベーションは関係がないです」。
前夜に飲みすぎて、多少頭が痛くても、普通に家を出て出社しようとするのが常識だ。「意欲」や「心の動き」「動機付け」など一切必要ないのだ。なぜなら、それが習慣になっているからである。
習慣とはつまり、それが本人にとって「あたりまえ」になっていることを指す。そもそも「心の動き」や「感情」によって、できるとかできないとかが左右される領域のことではないと、潜在意識の下で認識していることだ。
このように、毎日の生活や仕事の中で「あたりまえ」だと認識していること、「習慣化」されていることは、モチベーションや「心の動き」に左右されないことがわかる。