ネタ化によって、セクハラ問題の追及から逃れる結果に

なるほど「業界内での地位を利用して女性店主にセクハラを行ったフードジャーナリスト」というレッテルを貼られるよりは「文章が気持ち悪いおじさん」というレッテルの方が、今後の仕事に支障はきたさないだろう。

そしてその試みは成功してしまっているのである。

ネットというのは、多くの人が被害に遭った事件であっても、必ずと言っていいほど誰かしらがそれを「ネタ化」する。

例えば2019年の4月に発生した、母子が死亡した池袋の自動車事故。飯塚幸三被告が「アクセルは踏んでいない」と容疑を否認し続けたことから、ネットでは怒りの声が噴出した。

しかしその怒りは決して「高齢者の運転」や「アクセルもブレーキも同じ足で踏む、自動車の構造上の問題」という方向には向かず、早い内から「上級国民」や「プリウスロケット」というネタに変換されてしまった。真っ当な怒りを表明するつもりで「上級国民が!」というネタの言葉を使っている例は珍しくない。

こうした「問題のネタ化」は、ネットを通して事件などを知った人たちの多くに、事件を認識する上での「自然な流れ」として受容され、ともすればネタ化することが事件の正しい理解の一環であるかのように認識されてしまっているのである。

今回の件では、はんつ遠藤氏が文章で自らを「ネタ化」したことで、ネットを通じて事件を知った人に対し「事件の理解に繋がるように見える、ちょうど良いネタ」を提供した。

これをはんつ遠藤氏が意図していたかどうかは分からないが、結果としてはんつ遠藤氏からネタが提供されたことで、ネタ化の方向性がうまくコントロールされることになり、話題の中心が「おじさん構文」に逸れた。それによって、はんつ遠藤氏はセクハラ問題の追及から逃れる結果となっているのである。

このままでは「おじさん構文」という認識だけが残る

ネットユーザーは今でも「おじさん構文」とはんつ遠藤氏を嘲笑っているつもりなのだろうが、その実おじさん構文にコントロールされているのが現状である。

ネットユーザーが「おじさん構文」とバカにした内容と、実際のネットユーザーの動きというのは「ネタ化を必要とする」という意味で、極めて親和性が高かったのである。

このまま、問題の話題性が薄れていけば「はんつ遠藤という、おじさん構文を書くフードジャーナリストがいたな」という認識だけが残り、発端の問題などは忘れ去られて行くのだろう。

だからこそ最後に今一度、明確にしておきたい。

今回の問題は、媒体を持つライターと取材対象としてのラーメン店主という力関係から発した、ハラスメントの問題なのである。

僕は1人のライターとして、取材側と被取材側に力関係が発生し、時には意に沿わないことを強いてしまう可能性に、自覚的でありたいと思う。

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