麻雀界で“オカルト”が広まった要因

麻雀の世界でこのようなオカルト的な思考が主流になってきたのは、古くは阿佐田哲也さんの本などからの影響もあったかもしれません。昔から言われる「麻雀はツキのやりとりだ」というような発想は、このあたりから生まれたと思います。

阿佐田哲也さんの著書で、麻雀というゲームが広く浸透したという功績は非常に大きいものだと思います。しかし、こうしたオカルト発想が一人歩きした結果、麻雀の科学的な思考を妨げてしまった側面は、少なからずあったと思います。

もちろん昔の時代にも「麻雀の流れというものはデタラメだ」と、オカルト的な発想を否定する方もいました。また、10人に1人くらいの割合で、実はオカルトを否定しながらも、表向きは大人しく語調を合わせてきていたようなプロもいらっしゃったようです。

最近は科学的な考え方が浸透してきましたが今でも流れが意識される面は少なからずあるようです。「ツイている」「ツイていない」ことで、通常であればとらない手を打牌しているようなケースも時々見かけます。

そのような打ち方が勝ちにつながるかといえば、私は疑問だと言わざるを得ません。

なぜ人は非論理的な「流れ」や「ツキ」を信じるのか

こうしたオカルト理論が好まれ、流行ってしまう背景には、いったい何があるのでしょうか? おそらく、多くの人たちが麻雀のプレイにストーリー性を見出したいと考えるからだと私は思います。自分のやっていることにおそらく意味を持たせたいのでしょう。

日本人の文化・思想にもある「いいことをやったら報われる(報われたい)」「悪いことをしたらバチが当たる(当たってほしい)」という願望から来ているところも、あるかもしれません。

しかし、いいことをしたのに悪い結果になることもあります。反対に、悪いことをしたのに、いい結果になってしまうことだってあるのです。

理論的な裏付けがしっかりしている人たちが、勝負を盛り上げる意味でオカルトを語るのはまだいいと思います。

しかしそうでない人は、物語に乗ったオカルト的なセオリーを鵜呑みにしてしまい、さも証明されている真理のように捉えてしまうのです。

カジノでお金がなくなった男
写真=iStock.com/sanjeri
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数字に弱い人や論理的な思考に慣れていない人ほど、そういうストーリーに酔ってしまう傾向があると思います。こうしたストーリー性に引っ張られ、現実を見誤ってしまうのです。

セオリーを取り入れるとき、自分の頭で論理的に考えて疑い、本当にそうなのか検証してみることなく、やみくもに取り入れてしまうのは、思考停止です。

麻雀界に理系・文系の偏りはあまりない印象ですが、いずれにせよ数字に強い人がプロになっているはず。そんな世界においてもこの状況です。ちなみに私が在籍した東京理科大学の理学部数学科にも、オカルト派はたくさんいました。

また、麻雀漫画の影響も大きいかもしれません。特に昔の漫画はオカルト100%と言っていいくらいです。漫画でオカルト性を完全に排除してしまうと、実につまらない作品になってしまうでしょう。

漫画でオカルトが誇張されるのは、仕方ないのかもしれません。漫画の影響で麻雀ファンになった人は、きっとオカルト的なものを前提として麻雀を打つようになるでしょう。それで広まってしまった面もあるかもしれません。