麻雀の“代打ち”として名を馳せ、20年間無敗。いつしか人々はその男を「雀鬼」の異名で呼ぶようになった。運が左右するゲームで決して「負けない」。そんなことは可能なのか。あまたの死闘から体得した勝負の真髄を語った、セブン‐イレブン限定書籍『運に選ばれる生き方』より特別公開する──。(第1回/全3回)

※本稿は、桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「よかったとき」を基準に考えてはいけない

人は、悪い状況になると、無意識のうちに「よかったとき」を基準にして、「なんでこんなことになってしまったんだ」と考える傾向がある。「よかったとき」が、もしごく最近のことであれば、記憶は鮮明だから、その落差を余計に強く感じてしまうものだ。

しかし、思うようにいかない状況になったとき、よかったときと比べるのは、その人をさらに苦しいほうへ追い込むことにしかならない。なぜなら、よかったときの状態にすぐに戻ることはないからだ。

桜井章一氏
写真=野辺竜馬
桜井章一氏

むしろ、その落差を感じ、自らの無力さや不甲斐なさをいっそう痛感する羽目になる。へたをすれば、冷静さを失くし、正しく判断し、正しく行動することができなくなる可能性すらある。

「不調こそ我が実力」

よくない状況に陥った際は、よかったときを思い出してそれに近づけようとするのではなく、むしろそれとは逆に、もっと酷い状況をイメージするほうがうまくいく。

勝負事であれば、ミスをして不利な状態になっても、「もっと大きなミスでなくてよかった。この程度で済んでよかった」と考えるようにするのだ。生きていて辛いことがあるときは、自分よりもっと過酷な状況に置かれている人のことを考えれば、「自分なんて、まだまだたいしたことはない」と思えるものだ。

桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)
桜井章一『運に選ばれる生き方』(プレジデント社)

私はいつも「不調こそ我が実力」と思って麻雀を打ってきた

多くの人は、調子がいいときに「これが自分の実力だ」と思い込み、調子が悪いときは「これは本来の自分ではない」と、その状態を素直に受け入れない。常にそのような姿勢でいると、いったん調子を崩すと何が問題なのかをきちんと整理できず、修正力が働かなくなる。

反対に、調子が悪いときを基準にすれば、ちょっと調子がよくても変に浮かれたりはしないし、悪い状況にあってもそれを素直に受け入れ、しかるべき行動が取れる。

不調や悪い状況を基準に置く──。この姿勢は、不運な流れから脱するきっかけを必ずつくってくれる。