「信念」の落とし穴

信念を持ってなにごとかを成し遂げた人を見ると、多くの人が、「信念」というものは尊くて大事なことなんだな、と感じるかもしれない。

だが、信念を持って何かを成し遂げた人と、途中で挫折してしまった人では、どちらが多いのか。

私は、信念を持って何かを成し遂げた人は非常に少ないと思っている。環境や自分自身の変化から信念を抱き続けることが難しくなったり、信念があるゆえに壁にぶつかって挫折してしまったりするケースが多いはずだ。

むしろ、信念を持つことは生き辛さや自由を縛り、マイナスの結果になる可能性が高いとすら感じている。

こう言うと、途中で信念を挫折させることがあっても、信念を持つことは生き方として美しいのではないか、という反論がきっとあるだろう。

しかし、それは信念という言葉が持つイメージにとらわれているのだ。信念とは、固定観念を美しく言い換えた言葉といってもいい。だから信念にこだわっていると、変化に柔軟に対応できなくなり、運の流れに乗れなくなってしまう。

思考や行動が柔軟になる「遊び感覚」

信念でなければ、では何を持つといいのか? 私は「遊び感覚」だと思っている。遊び感覚があれば、仕事も人生も楽しいものになるし、人間としての膨らみも出てくるものだ。

信念は思考や行動に硬さをもたらすが、遊び感覚は反対に柔らかさをもたらしてくれる。

柔らかさは、人が変化していくうえでもっとも重要なもののひとつだ。人は歳を取るにつれて体も心も硬くなっていく。だが、自然界では柔らかさを失うということは「死」を意味している。生命の最後において、変化することを否定し固まった状態は「死」にほかならない。

それを考えれば、「柔らかい」ことがどれほど大事かわかるだろう。

固定観念や信念といったものに縛られず、柔らかな感性と思考を持って生きる。それこそが変化していく可能性を多くはらみ、「運に選ばれる」生き方だと私は考えている。