「負けに不思議の負けなし」と考えることの大切さ
オカルト思考に陥ってしまうと、その根拠や理由を自分の頭で考えることがおろそかになってしまうので、次につながりません。
たとえば、これまで「今日はずっとツイている」と言うことで、通常よりも強引な攻めをして失敗し、「ああ、調子に乗ったからバチが当たった」「ツキがなくなってしまった」で終わらせてしまうような場合です。
通常では打たないような、勝つ確率の低い選択肢をとったから失敗したわけです。その失敗で「過去がどうであれ、ツモは確率通りに起こる」という当たり前のことを学び次に活かせればいいのですが、それを運や神のせいにしてしまっていては、正しい学習ができなくなってしまいます。
監督として3度のプロ野球日本一を達成した野村克也さんが、生前、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉を残されました。
麻雀の世界に限って言えば、私は正直、負けにも不思議の負けがあると思います。運悪く、最悪の悪い配牌になったりすることは当然あるからです(私は、運がいい・悪いがない、と言っているわけではありません)。
しかし、ここで野村克也さんが言おうとしたことは、何事も「不思議だなぁ」で終わらせてしまおうとする思考停止にこそ問題があるのだ、ということだと思います。
「負けてしまったことを運のせいにして、そこで誤った判断をしていたり、新たにわかった傾向を見逃したりしていては、勝負で勝つために積み上げていけるものは何もない」と言いたかったのではないでしょうか。
たしかに、オカルト思考でなんでも運やツキのせいにしたり、迷信を信じきってしまうのは楽です。でもそれでは上達は望めないのです。
勝負の「流れ」は本当に存在するのか
麻雀業界には、昔からオカルト的な発想をする人がかなりいました。
具体的には、
「ツイているときは負けないから押せ(自分がアガることを優先し、危険牌も切っていくこと)」
「ツイていないときは我慢しろ」
「いいプレーをすると見返りが来る」
「麻雀の神様は見ている」というような考え方です。
私自身も先輩から、「お前、ツイてるんだからそこは押さなきゃダメだろう」とか「今は逆流にいるんだから、我慢しなきゃダメだ」というアドバイスをもらうことも多々ありました。
私が麻雀プロになりたての頃は、麻雀理論にもこうしたオカルト的な発想がはびこっていて、特に「流れ」についてはほとんどの方が言及していました。
私はプロ入り当初からオカルトを否定してきたので、私のことをよく思わない先輩方も多くいたと思います。ですから私の成績が悪かったときには、鬼の首を取ったように「だからお前の麻雀は浅いんだ」などと言われていたことを思い出します。