なぜこんなことを大まじめに守っているのかというと、会話の相手が何を求めているかは、あくまで相手のなかにしか存在しないからです。
もしかしたら、相手の頭のなかにはすでに結論めいたものがあり、僕にはただそれに対する賛同を求めているだけなのかもしれません。あるいは、結論が出ない、出せないことと知っていながら、ただ真剣に耳を傾けてもらう相手が欲しくて話を振ってきただけなのかもしれません。
つまり傾聴してもらえればそれで十分で、「ああ、話したらスッキリしました。明日からまた頑張ります!」となるかもしれないのです。
相手がその会話を通じて何を望んでいるかを正確につかむことこそが、僕が考える会話の本質です。
求められているのは事実か、意見か
相手が求めるものを正しく理解しないと、今度は「結論が知りたい」相手とも話が噛み合わなくなります。
たとえば会議室ならこんな形で発生します。
上司「Aさん、この間X社に提案したプロジェクトの結果、どうだった?」
A「いやあ、僕はかなり頑張ってプレゼンしたんですよ……担当の○○さんのウケは良かったんですけど……」
上司は明確に「結果はどうだったか」と尋ねています。聞きたいのは、X社の正式な回答がOKだったかNGだったのか、あるいはまだ検討中なのかという「事実」です。
しかしAさんが答えたのは自分の「意見」。相手に確認していない自分のミスを隠したいのか、努力したことをアピールしたいのか、急に聞かれて焦っているのかはわかりませんが、聞かれた質問に対して、答えるべき内容がズレてしまっています。これでは上司に怒られても仕方がありません。
大切なことは、「事実」を求められているのか、「意見」を求められているのかを瞬時に見極めることです。
「あの店のカレーは美味しかった?」と聞かれたのなら、あなたの意見を言えばいい。自分には辛すぎたとか、値段の割には美味しいと感じたとか。美味しさに正解はないのですから、ここは意見でいい。
でも、X社との取引がうまくいったかどうかは事実を答える。その上で、今後の展望や予測など自分の意見をプラスすればいいわけです。
「いやあ、僕のプレゼン自体はむこうの課長さんも熱心に聞いてる様子だったんですよ。でも、課長さんも決断できないのか、したくないのかわかりませんが、きっと景気もそんなに良くないからいろいろ考えるところがあるんじゃないですかね」
そう、これはすべて「意見」です。見事なくらい事実がひとつもない……。そんな事態に陥らないよう、相手が何を求めているのかを見極めてください。