※本稿は、牧野洋『官報複合体 権力と一体化するメディアの正体』(河出書房)の第3章「リーク依存型取材の罪」の一部を再編集したものです。
目の前で犯罪行為を目撃したのに、報道しない記者たち
2020年5月、週刊文春のスクープによって権力とマスコミの癒着体質が白日の下にさらされた。新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出ているなか、マスコミ関係者3人が東京高検検事長の黒川弘務と賭けマージャンをしていたというのだ。
黒川は次期検事総長の最有力候補といわれていた。検察権力のトップに最も近い位置にいたわけだ。一方、マスコミ側は産経新聞の司法担当記者2人と朝日新聞の社員1人。朝日の社員は司法担当記者時代に黒川と取材を通じて知り合いになっていた。
マスコミ業界には逆風が吹いた。記者は目の前で犯罪行為を目撃していたのに、なぜ報道しなかったのか。権力に密着取材しているのではなく権力と癒着し、何も報道できなくなっていたのではないか。
マスコミ業界の独自基準に従えば、3人は間違いなくスター記者だ。検察ナンバー2と定期的に雀卓を囲むほど権力に食い込んでいたのだから。「特ダネ記者の中の特ダネ記者」であり、社内では肩で風を切って歩いていたはずである。
ジャーナリズムに欠かせない批判精神を失ってしまう
事実、日本で最も有名なジャーナリストともいえる池上彰も筆を執り、3人の食い込み力に感嘆している。次は朝日のコラム「新聞ななめ読み」からの引用だ。
〈黒川検事長という時の人に、ここまで食い込んでいる記者がいることには感服してしまう。自分が現役の記者時代、とてもこんな取材はできなかったなあ。
朝日の社員は、検察庁の担当を外れても、当時の取材相手と友人関係を保てているということだろう。記者はこうありたいものだ〉
個人的にはがっかりした。日本を代表するジャーナリストがいわゆる「アクセスジャーナリズム」を肯定するような発言をしている、と感じたからだ。
アクセスジャーナリズムとは、記者が権力側に気に入られ、特別に情報をリークしてもらう手法だ。「リーク依存型取材」と言い換えてもいい。少なくともアメリカの報道界では邪道とされている。
権力側との「アクセス(接近)」を重視するあまり、ジャーナリズムに欠かせない批判精神を失ってしまう――これがアクセスジャーナリズムの本質である。日本では司法記者クラブを筆頭に権力側に配置された記者クラブがアクセスジャーナリズムの一大拠点として機能している。