韓国語の敬語システムが作る善悪二元論の空間

それからまたしばらく経って、まだ韓国で携帯ではネットが出来なかった頃、ミニブログのような形で短い日記や雑記を書くネットコミュニティーが人気でした。そこに、ある外国人が書いた「韓国に来てヨクをいっぱい学んでしまった。もう私も、少し怒るだけですぐヨクを吐き出してしまう。私は悪い人(demon)だ。自分が怖い」というつぶやきは、いまでも忘れることができません。彼はきっと、「空間」の中で同化されてしまったのでしょう。

シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)
シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)

このように、「敬語」の存在意味がおかしくなりつつある韓国社会ですが、その結果として、二つの形で、敬語システムの崩壊が表れています。

「二元論(dualism)」とは、絶対に相容れない二つの領域をもって、世界を見ることです。例えば、社会を「善」と「悪」という対極として二つの原理で説明しようとするのも、二元論です。

さて、善(徳のあるもの)は悪(徳のないもの)より「上」だとする儒教思想の国が、善悪論の二元論に陥ってしまうと、その国の社会にはどんなことが起きるのでしょうか。一つは、「相手から尊待されたくて仕方がない」人の量産。もう一つは、「相手を下待したくて仕方がない」人の量産です。

尊でないものは下だから、「私への尊待」と「他人への下待」が、同じ流れとして表われるわけです。二つしかなく、「枠」は上と下しかありません。だから、下でないものは上で、上でないものは下なのです。

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