韓国生活の長い外国人が抱く疑問

韓国で暮らすようになった外国人は、ほぼ間違いなくこう言います。「韓国語って、本当に敬語が発達していますね」、と。それもそのはずで、例えば飲む(drink)はお父さんが飲もうが子供が飲もうが、神が飲もうが悪魔が飲もうがdrinkです。「お飲みになる」「飲まれる」「召し上がる」のような言葉はありません。

日本語もそうですが、韓国語の敬語は、それらをしっかり区別します。こうした敬語表現になれていない外国人からすると、たしかにカルチャー・ショックものです。

英語にも聖書の訳や神への祈りの際に使う特別な言葉、例えば日本語訳だと「汝」になるthouやtheeなどの言葉がありますが、まず日常で使うものではありません。日本で「なんじ」って友だちに時間を聞くとき以外は使わないでしょう。そんな感じです。

韓国語を学び始めた外国人、韓国で暮らし始めた外国人の方々も、最初は驚きます。韓国語には相手へ「敬」を示すために、独立した単語があるのか、これは本当に素晴らしいことだ、さすがは儒教の国、礼儀の国だ、と。

しかし、韓国生活が長くなると、外国人は韓国語についてある疑問を抱くようになります。「敬語がこんなに発達しているのに、なんで私にジョンテッマル(尊待語、尊敬語)を使う人はいないのか」。

英語は単語だけで見ると敬語がないように見えるが…

もちろん、本人の社会的立場にもよるでしょうけど、実生活で、韓国語の尊待語は、彼ら外国人が相手する人、例えばお客様に使うものであり、相手から尊待語を使われることはそうないからです。これでは、敬語が発達していても「私」とは関係ないじゃないか、ただのカスタマーサービスじゃないか、と。日本側のネットでもよく言われる「韓国語って、尊敬語も尊称もちゃんとあるのに、なんでこんなに相手を侮辱する言葉が多いのか。なんでこんなにいちいち上から目線なのか」という指摘も、同じ趣旨のものです。

そして、外国人の方々は、やがて気づきます。むしろ英語のほうが、韓国語より幅広く敬語表現を使っていることに。英語は、単語だけで見ると敬語がないように見えますが、言語の特徴を単語だけで語るべきではありません。英語には、「敬」にあたいする表現がたくさんあります。

有名なのがCan you ~またはCould you ~で、日本語に直訳すると「~していただけたらと思いますが~」になります。単語だけだと「おまえ、できるか」と、昔のアニメで宇宙人が話すギコチナイ地球語のようにしかなりませんが、使い方一つで、その意味には十分な「敬」のニュアンスが生まれます。

もちろんシチュエーションと話す人の態度がもっとも大きな判断要因でしょうけど、基本的に、Can(Could)you 〜は立派な敬語表現です。canに「できる」と「できます」の区別はありません。youにも「おまえ」と「貴方」の区別はありません。単語そのものだけで敬語表現が成立するわけではありません。でも、文章としてCan(Could)you 〜にすると、それは立派な敬語になります。