日本語では大人が子供に「です」や「ます」などの丁寧語を使うのは普通だ。一方、韓国語にはそうした表現はない。韓国人作家のシンシアリーさんは「韓国語にも敬語はあるが、『敬』の適用範囲や方向性が違う。日本語の『敬』は多元的で、広範囲で、双方向的だが、韓国語の『敬』は、二元論的で、範囲も限られ、一方通行だ」という——。

※本稿は、シンシアリー『日本語の行間』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

アジアの街
写真=iStock.com/Marco_Piunti
※写真はイメージです

韓国では大人が子供に「貴方」と言うことはない

二〇一九年の夏、京都の伏見稲荷大社に、ご祈祷を受けるために訪れたときのことです。

韓国人がご祈祷を受けに来るのは珍しいようで、神楽の場所に移動する前、神職の方が声をかけてくれました。普通に「日本はどうですか」「日本語お上手ですね」などの会話で、当時話題(?)だった輸出管理厳格化の話もちょっとだけあったりしましたが、その際に私が驚いたのは、普通の人ならともかく、神職の方が、神様のことを「お稲荷さん」と言っていたことです。お~さんですから尊敬語表現ではありますが、神様に「様」を付けないなんて。

日本語では自分側の人を紹介するとき、お父さんを父というなど、謙譲な表現を使うのはわかっていました。韓国語にはない敬語表現です。でも、まさか、神職の方が神様を「様」と呼ばないなんて、これは本当に凄いことだな、と思わずにはいられませんでした。人に適用する敬語法の概念が、神様にも適用されているんだな、と。

とにかく、韓国のイエス尊待法の観点からすると、天罰ものかもしれません。

日本の「敬語の世界」でまた驚かされるのは、大人が子供に対し、丁寧語などを使うことです。そこがまた、韓国語には訳せない部分でもあります。日本語では、先生が生徒に、親が子に、「です」や「ます」を付けたり、お前ではなく「貴方」と言ったりしても、それは日常の中に自然な形で存在する日本語です。特別な場合だけではありません。別記なしで、普通に社会構成員たちの間で「これは問題ない表現だ」という感覚が共有されています。

日常生活の中で使われるこれらの日本語は、同じく日常の韓国では信じられないほど、幅広い相手に「敬」を与えます。ですから韓国語には、そのまま訳すことができません。いや、訳そのものはできるけど、出来上がった韓国語文章が、表現として不自然すぎます。

「日本ではこんなシチュエーションでも敬語を使います」という説明でも付けないと、訳として落第点になります。それらのシチュエーションで、韓国語では尊敬語も丁寧語も使いません。使う理由がありません。