「早期発見」至上主義に駆り立てられる医療従事者
いま紹介した二つのケースはともに、「認知症の早期発見」という最近の行政機関やメディアの掛け声がなければ、かかりつけ医も急いで認知症専門病院へ紹介などしなかったのではないか、と思われる。
高齢者が身体的に不調になれば、認知症でなくても、集中力や記憶力が低下して、勘違いをしたり日付があいまいになったりするのは普通にあることである。気分も落ち込みやすくなるし、食欲や睡眠も十分でなくなって当然である。身体的に回復すると見違えるように元気になり、思考力・記憶力もしっかり回復する。かかりつけ医の医師たちはそんなことは何百回も見聞きしてきているはずだ。
ところが、認知症が社会の大問題になり、「早期発見」が旗印に掲げられるようになって、医師の考え違いが増えているのである。これは医師だけではない。看護師も同様で、入院中の人が混乱した言動をとった時、「認知症が現れた」とすぐ思い込むようなケースが少なくない。
素人のほうが正しく判断できる場合もある
入院するということは、身体的にすでに不調を抱えているのであり、元気な時より認知機能が低下することは普通に起きる。ましてや、全く新しい環境のなかで寝起きするのである。場所や日付の勘違いも起きやすい。
外来・入院ともに、病を持った高齢患者の「特別な状況」を考えれば、記憶や判断の間違いは当然あると承知していなければいけない。もし医療者が、物忘れをしたり、日付を間違えたりする患者をみて、すぐに「認知症だ」と判断してしまったら、それは医療者ではなく素人の見方と言われても仕方ない。いやむしろ、素人の一般の人々のほうが、なにか身体の病気ではないか、と感じるのではないか。
紹介した2ケースの家族も、認知症だと医師に言われても半信半疑のまま、仕方なく精神科の私の外来を訪れている。内科医師よりもよほど健全な目を医学に素人の家族の方が持てていた。認知症早期発見の啓発活動が医療の中に生み出している事態は、ある意味深刻である。
総合病院では、身体科病棟で生じた精神科的問題に精神科医が対処するリエゾン診療が増えつつある。リエゾンとは、連携とか橋渡しとかいう意味である。身体科と精神科の連携を表す。ところが活動の中身はまだ十分とはいえない。各科病棟からの依頼件数に対しリエゾン診療を担当する医師が足りず、対応がおざなりになりがちという問題がある。