「全体主義社会」の疑似体験をしているようだ

端的にいえば、今日のネットの息苦しさは、ネットが人びとに対して「全体主義社会がどのようなものか」を疑似的に体験させているからこそ生じている。

現在のインターネットは、全体主義社会がじわじわと浸透する社会での暮らしがどのようなものなのかを体感させてくれるシミュレーションゲームのような状況になりつつある。10年前の私に言ったら信じてもらえないだろうが、これが現実だ。

いま、もはや何回目かも忘れた緊急事態宣言のさなか、街に少しずつ人が戻っている。

それは単に「ニュー・ノーマル」の生活様式へのストレスや反動だけではないかもしれない。「ニュー・ノーマル」の世界で、人びとのコミュニケーションの代替手段となったインターネット。そこで急拡大するグローバルでボーダレスな「ニュー・ワールド・オーダー」への反発や疲れを少なからず含んでいるようにも思える。

「現実はクソ、ネットこそ救い」だった世界は遠くに過ぎ去り「やっぱり現実の方がいいよね」となりつつある。

人びとは、つながりすぎたがゆえに、お互いと手を取り合えなくなった。

【関連記事】
小田急線刺傷事件を「フェミサイド」と結論づけるのが極めて危険な理由
「小6女子いじめ自殺」チャットに書かれた誹謗中傷はなぜ消されていたのか
「"ダメになっていく日本"を強く感じた」若者たちが東京五輪に失望した理由
「ダメだと言っても集まってくる」未成年の男女が"夜の歌舞伎町"でたむろしているワケ
「残念ながら最悪のシナリオを辿っている」東京五輪後に国民が被る大きすぎる代償