「ポツンと一軒家」の人気の秘密は群れへのアンチテーゼ

現在、こうした田舎志向の象徴の一つとなっているのが、2018年10月からテレビ朝日系で放映されている「ポツンと一軒家」という番組である。

僻地を巡るバラエティー番組「ポツンと一軒家」(ABC・テレビ朝日系)
画像=朝日放送テレビのウェブサイトより
僻地を巡るバラエティー番組「ポツンと一軒家」(ABC・テレビ朝日系)

世間から隔絶された日本各地の僻地にポツンと建つ一軒家を衛星画像で探し出し、そこで暮らしている人たちを訪ね歩く。チャンネルの多様化や録画・ネットの映像配信の普及などによって、「視聴率10%超えなら大成功」と言われる放送業界において、同番組はつねに20%に肉薄する視聴率を稼いできた。

新型コロナウイルスの蔓延が深刻化した2020年の3月15日には、実に22.2%の高視聴率(ビデオリサーチ調査、関東地区)も弾き出している。

なぜ、同番組がこれほどまで人びとの関心を呼ぶのか。

「群れることへのアンチテーゼが、多くの人の意識に芽生えたからだと思います」

と、催眠療法の第一人者で、公認心理師の国家資格を持つ米倉一哉さん(日本催眠心理研究所所長)は分析する。

「意識的か無意識的かを問わず、人というのは自分のなかの淋しさもあって、人と繋がり、集まろうとします。ツイッターやフェイスブックなどSNSの爆発的な普及は、それをいかにも象徴しているでしょう。ところが、多くの人と繋がるということは、ある種の弊害も生むのです。つまり、『縛られている』『監視されている』という感覚です。

実際、書き込みや発言に対するバッシングは後を絶ちませんし、いくら『イイネ』をもらったとしても、そうした窮屈な感覚はほとんどの場合、潜在的に消えることはありません。すると、今度は煩わしさや鬱陶しさを覚えるようになる。いまのネット社会において、多くの人たちがそうした煩わしさをどこかで感じてきたのだと思いますよ。

ところが、その煩わしさから解放されて生きている人がいるということが、テレビ番組や雑誌などを通じてわかってきた。彼らはなぜ、ポツンと淋しい僻地に暮らしているのか。いったいどんな気持ちで毎日を生きているのか。そういった興味が多くの人のなかで出てきたのでしょう。裏返せば、それは多くの人びとが潜在的に抱えてきた『解放されたい』という欲求を物語っています。

これまでは人と繋がることが良しとされ、多くの人と一緒になることが善とされる価値観が続いてきました。それによって、逆に人びとが傷つけ合ってきたという側面も否定できません。そしていま、その価値観が崩壊しかけているのだと思います」

「わざわざ人が蠢く大都市に出る必要がなくなった」

米倉さんによると、その価値観の崩壊に、良くも悪くも大きく関与したのが、新型コロナウイルスの蔓延ではないかという。多くの尊い命が失われ、深刻な経済的困窮を生んだ一方で、それを機に多くの人が群れることを控え、自分なりのスタンスを重視する方向へと導かれたのではないか、と。そして、それは人類が連綿と繰り返してきた集結と離散のリズムに他ならない。

たとえば、太古の狩猟時代、人々は個や少数での行動を常とした。農耕時代に入ると、村社会が生まれ、その集団化が肥大した結果、やがて人々が群れ集う都市文化が誕生した。そして、今度はその群れ集う社会のなかから、個の尊重を求める者たちが、一人二人と離れていき、それが広く伝播していく。こうした「くっついたり離れたりする」人間の歴史において、たしかに現在は「人びとが離れたがっている時代」に突入しつつあるのかもしれない。

「その兆候はすでにいくつかありました。一つがダイバーシティ、つまり性別や学歴、障害の有無を問わず、それぞれの特性を活かした人材発掘という、多様性重視の企業が多く誕生したことです。いわば、既存のものに周囲が合わせる社会から、個々の特性に立脚した社会へと変わりつつあることですが、そこにコロナが登場した。それによって、生活スタイルの変化が加速したことは確かだと思いますよ。

たくさんの人が亡くなっていますし、コロナを忌み嫌う人も多いので、軽率なことは言えませんが、なかには逆にストレスを軽減させた人もいることはいるんです。私のクライアントさんのなかにも、『コロナのおかげで、乗りたくもない満員電車に乗らなくて済むようになった』と言う人がいれば、『わざわざ人が蠢く大都市に出る必要がなくなってホッとした』と言う人もいます。

引きこもりの人たちにも変化が見え始めてきました。彼らの心の奥には、自分は世間からドロップアウトした存在だという負い目や罪悪感が、つねに隠されています。ところが、コロナが蔓延して、自宅待機が推奨されるようになった。言うなれば、引きこもりが推奨されるようになったのです。

そこでどうなったか。それまで引きこもっていた人の多くが、外に出るようになったんです。自宅待機する社会人たちに『仲間だよ』と言われているような感覚になり、自分は世間から外れたダメな人間だという負い目から解放されたからですね」