「お父さんは何の仕事してるの?」
村松さんもその一人だ。震災以前から転職を視野に入れて活動していたという彼は、震災後、転職先を考える条件が変わったと話す。
「社会貢献というと少し大げさかもしれませんが、子どもから『お父さんは何の仕事してるの?』と聞かれたとき、堂々と答えられる仕事がしたいと思うようになったんです。いまの仕事だと後ろめたいというわけじゃないけど、年を取ったとき、『自分は社会に対してこういうことをしてきた』と誇れる何かがある仕事をしたいと考えるようになりました」
村松さんは就職氷河期真っ直中の1998年に大手地方銀行に入行後、外資系保険、外資系銀行等を経験し、着実にキャリアアップしてきた。年収は1000万円以上と同世代のビジネスマンでもトップクラス。“誇れる何か”はいまでも十分ありそうに思えるのだが……。
「外資系金融は競争の激しいシビアな世界。生き残るため、かなり汚い手を使う人もたくさん見てきた。果たして40代、50代とこの世界でやっていきたいのか? と考え、転職を決意しました」 “社会に役立つ仕事がしたい”という考えは震災後、突発的に思いついたわけではない。村松さんは数年前からソーシャル・ベンチャーに対して、組織運営のノウハウを提供するボランティアを行ってきた。
「でも自分で起業するつもりはありません。僕は経営者向きじゃない。組織に入り、そのインフラを使ってできることもたくさんあります。企業規模よりも、そこで働いている人、とりわけ社長がどのような経営方針を持っているかが気になりますね。利潤や効率性より、社会性を重視したビジネスが最終的に受け入れられて利益をもたらすと思うし、そうしたビジネスモデルがスタンダードになりつつあると感じているんです」
現在勤めている外資系金融に比べ、収入が下がることもある程度覚悟していると村松さんは言う。
「子どもたちはまだ幼いですから、ある程度のお金は必要ですが、贅沢な暮らしがしたいという願望はありません」