「1万人で有観客」にドン引き
「太平洋戦争って、たぶんこんな感じで始まったんだろうなぁ」
朝の情報番組に出演したその日、私は「瞬きしたら世間はこんなことに」と、ちょっとした浦島太郎もいいところだった。その日の大ネタは、改訂された東京五輪・パラリンピック「プレイブック第3版」。
既に開催強行の段階でさんざん批判が噴き出していたのに、当時大会委員会が「1万人を上限とした有観客での開催を目指す」などと腰を抜かすほど突拍子もないことを言い出したために、ワイドショーも五輪の感染予防対策の内容に焦点を当てたのだ。
疫病の世界的感染拡大という異常な状況にありながら、開催都市・東京や開催国・日本が控えめに申し出る意向に全く耳が傾けられない。何があろうとも世界中から選手や関係者を受け入れて「今夏もう絶対開催デス。何か文句ありマスか? 聞きませんケド」という、日本にいない(しかも我々が直接選んだわけでもない)どこかの誰かさんたちによる無茶で理不尽な結論ありき、の開催強行。
国内弁慶のわりに外交では空気読んでスゴスゴ帰ってきちゃうキャラの日本の政治家は、世界中の新型コロナウイルスの変異株を集めて出会わせ、東京という鍋の中でグツグツ煮込んでまた誰も見たことのないスーパー変異株を生んじゃうかもしれない「夏の自由研究」を「ハイします」というとんでもない貧乏くじを引いてきた。それを国民の前ではレガシーだ、人類の疫病克服の証しだ、(そういえば)復興五輪なんだと、借りてきた語彙を総動員して精いっぱいに強がるから痛々しい。
国内1万人を上限に有観客開催、との発表(6月16日当時)。日本国民ではないどこかの誰かの利益や思惑を最大限に尊重して妥協に妥協を重ねたつぎはぎだらけの方針に、「有観客? 冗談でしょ」「ばか言ってんじゃないよ」「ワクチン接種スピードにちょっと弾みがついた途端、調子に乗ったな」と、私も私が知る人々も漏れなくドン引きしていた。