当時、大山ブロー工業所が作っていたのは発注元から頼まれた部品で、同社は下請けと呼ばれるサプライヤーだった。そのころの商習慣として、買う側は半年に一度、サプライヤーの納入価格を値切ることになっていた。
度重なる値下げの要求に、彼は大きな決断をする。
独自製品を開発し、自分の意思で価格を決める
「下請け仕事から抜け出したい」
それには独自製品を開発して、最終消費者に買ってもらわなくてはならない。アイデアがいるし、開発には投資も必要だ。それでも、毎回毎回、納入価格を値下げしなくともいいし、自らの意思で製品の価格を決めることができる。
「これだ」と思ったのはプラスチック製、中空の浮き玉(ブイ)だった。それまで養殖、漁業に使う浮き玉はガラス製と決まっていた。ただし、ガラスは割れてしまう。しかも、表面は平らだから、ロープでつなぐにしても、ネットで包まなくてはならなかった。大山はガラス製の短所を補ったプラスチック製の浮き玉を開発し、ロープを施しやすいように、突起をつけ、穴を開けた。穴にロープを通せば浮き玉をつなげることができる。
プラスチック製浮き玉は人気となり、真珠の養殖業者、ホタテの養殖業者など、全国に販路が広がった。今ではガラス製の浮き玉を見つけることが難しい。
下請け仕事から脱却できた「着眼点」
浮き玉の次は、農業マーケットに進出した。それまで苗を育てる箱は木製だったが、軽くて通気性のいいプラスチック製育苗箱を開発したのである。これもまた木製の難点をカバーしたものだ。
同社が下請けから脱却できたのは、ニッチなマーケットに目を付けたからだ。そして、ガラス、木材という素材をプラスチックという新素材に替えたことだろう。
新素材の開発という彼の考えは現在でも通用するし、事実、その道筋で改良されている製品は今も各種ある。たとえば炭素繊維だ。鉄よりも軽くて丈夫だから、飛行機、高級自動車などの一部に使われるようになった。
彼は人があまり目を付けないニッチな分野の従来製品を見て、自分の強みであるプラスチック技術で問題を解決したのである。アイデアマンというよりも、問題を大きな視点で見直し、解決したのである。