国の独立や拡大に合わせて次々と誕生した中東財閥

クウェートはアラブ首長国連邦やサウジアラビアが興隆する前は中東の出島のような役割を果たしていたので、その頃の遺産があります。我々に身近なところで話すと、アルシャヤグループは日本のブランドだとマツダや良品計画の代理店として中東各国で展開しています。

第1章で話題に出たビン・ラディングループも、設立者であるムハンマド・ビン・ラディンがイエメンからの出稼ぎでサウジアラビア国内の建設業に従事するようになり、サウジアラビアの中枢部と繫がり、サウジアラビアの発展に伴う巨大な国家プロジェクトや大型のモスクの建設を受注したところから拡大が始まっています。

ムハンマド・ビン・ラディンがサウジアラビアへ出稼ぎに出たのは第一次世界大戦前でしたが、ちょうど第一次世界大戦が終わった頃にサウジアラビアを含めた湾岸アラブ諸国が続々と力をつけて国境線を定めて独立し始めました。

湾岸アラブ諸国が勃興するタイミングで国内外のコネクションを引っ張ってきて商売を始めた一族やグループが、現在の中東財閥のはしりだと言えます。

これは、江戸時代から明治にかけてできた日本の商業グループが現在でも名を馳せる財閥として一気に拡大したように、国家の転換点においてビジネスチャンスが生まれる現象は、東西どの国でも同じなのでしょう。

世界長者番付の常連として有名なアルワリード王子

これまでに挙げた例は様々なタイミングで、チャンスを掴んだ民間人が財閥を立ち上げていったケースですが、ほかにも王族が興したビジネスが拡大していくケースもあります。

王族の所有している企業は、当然ながら政府との関係性も濃いので、政府の案件を受注しやすいという強みから規模が拡大していく傾向は強いのです。これは日本企業が、政府中枢との繫がりを作るために、顧問や相談役に官僚や大臣の経験者を据えるのと似た傾向にあると言えます。

中東でお仕事をされた方はご存じかもしれませんが、サウジアラビアや湾岸アラブ諸国で行政上の手続きを進めることはめちゃくちゃ大変です。銀行口座ひとつ作るのに数カ月以上かかるケースも過去(いまでも?)にあったそうです。

そのため、承認されるプロセスが非常に煩雑なので普通に正面切ってあたるよりは、王子や政府の役人など高官に直接連絡をとって進めてもらったほうが話は早く進むわけです。そこで活躍したのが、様々なメディアの世界長者番付に常に名前が載っており有名なアルワリード・ビン・タラル王子です。

2014年3月4日、ヨルダン川西岸の都市ラマラを公式訪問中のサウジアラビア王子アルワリード・ビン・タラール氏が手を振っている
写真=AFP/時事通信フォト
2014年3月4日、ヨルダン川西岸の都市ラマラを公式訪問中のサウジアラビア王子アルワリード・ビン・タラール氏が手を振っている

彼は私が滞在したリヤドのランドマーク、キングダムタワーを所有しているキングダムホールディング・カンパニーのトップです。とにかく大富豪のイメージで祭り上げられている王子で、本人もフォーブスの世界長者番付が発表されたときは「私の個人資産はもっとある!」と“抗議”したことで有名な方です。

王族だからお金持ちで当然だろう、と考える方もいるでしょうが、それは間違いではないかもしれません。しかし、実はこのアルワリード王子は、自分の高い立場に甘んじるだけでなく、努力家の王子でもあります。