高校生になるK君が経験した「お金のない辛さ」

一方で開発途上国の子どもだと、逆にリアリティを強く感じながら生活しています。

高校生になるK君が、「貧困問題を勉強したい時に、どんな本を読んだらいいでしょうか?」と質問してきました。そこで「本を読む以外、どんな学び方があると思う?」とたずねると、彼は「貧困の人が多く住む地域を歩いてみる」と答えました。でも、それは見ることであって、理解することではありません。

そこでK君に「では、まったくお金を持たずに100キロ先の町に行く方法を考えてみて」とまた質問をしてみました。1日かけて考えた彼は、ヒッチハイクを思い付き、恥ずかしさを押し殺してメッセージを掲げ、国道脇に立とうと考えたのですが、実際に車に乗ることはかなわなかったそうです。

ヒッチハイクをしようとするバックパッカー
写真=iStock.com/da-kuk
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これで貧困が分かるわけではありません。しかし、お金がない暮らしを体験したことのまったくない若者が、恥ずかしさといったハードルを前に、お金のないことの辛さを感じたことは事実です。

今の親世代は、子どもの時に「外にばかり遊びに行くのでなく、たまには家の中で読書しなさい」などと言われたかもしれません。しかしこれからは「家の中にばかりいないで、外に出て遊びなさい」と子どもに言わねばならない時代なのです。

「親の夢を託された子ども」が受ける傷

子どもが生まれると、多かれ少なかれ、親は頭の中に子どもの将来を思い描きます。中には親自身の夢を子どもに託し、実現してもらいたいと強く願う親もいます。自分が果たせなかった夢も頑張れば叶うと信じ、つい過干渉になり、それで子どもに親の望む事をいてしまうのです。

もちろん、その願いと子どもの夢や特性が合っていればいいのですが、うまくいく話ばかりではありません。親の側が勉強や習い事に一所懸命でも、一向に伸びない子どもは必ず出てきます。

そんな子どもを前に、夢を託した親は、一層強い圧力をかけがちです。抵抗できない子、もしくは頑張っても絶対に越えられない壁を前にした子は、受け身となり、自信と意欲を失っていくわけですが、それがさらに親のイライラを招いてしまう。

この時期、強く責められたことが心の傷となり、大人になって引きずる人もいます。パターン化した勉強や運動を強制されて、それには秀でたとしても、自由に、能動的に動くことに強く恐怖を感じる人もいます。さらには親に反発して争いを招き、家庭内暴力に発展する家族もあります。

これらの状況に至った場合、いずれにせよ、親が築いた壁が高すぎた、と言えるでしょう。