漫画の仕事は「チームビルディング」
長らく漫画家を生業としてきた私は、時折、仕事へのスタンスが少々独特だといわれる。本人としては、特に変わったことをしてやろうという気概も趣味もないのだけれど。
変わっているというのは例えば、漫画の仕事をハナからチームプレーだと考えているところ。
一般には漫画の仕事とは、漫画家という「先生」の意思を実現するために、アシスタントらが手足になって動くといったイメージが根強くあるようだ。
私の場合はたしかに違う。アシスタント、編集者、そして『ドラゴン桜2』の東大生チームのようなブレーンになってくれる人たちと、ひとつのチームをつくってプロジェクトを進めているとの意識が強い。
だから私が日頃、漫画の仕事をしていて心を砕くことといえば、もっぱらチームビルディングである。チームが全体として最も効率よく力を発揮できるスケジューリング、労働環境、精神状況、モチベーションを整えることを、いつも考えている。
作品には東大生の若者のプランをそのまま採用
自分が思い描く通りの表現を実現するために、周囲を使うという発想もない。その証左として『ドラゴン桜2』であれば、チームの一員たる若き東大生たちが練ってきてくれた意見にはたいてい賛同し、そのまま採用する。もちろん検証は経るが、彼らの言った通りをどんどん作品に反映させていく。
それはそうだ。最も現場に近い、というか当事者そのものの現役東大生が、「こうだ」と言っている。そこに疑問を挟む余地などない。チームの一員として信頼しているのだから、その提案を尊重するのも当然だ。
歳を重ねるほど若者の言葉に耳を傾けられなくなるという話もあるが、それは若者を同じチームの一員と見做していないからではないのか。自分のほうが知力や経験に優れているのだからと、知らず上下関係で人を見ているのだろう。
そんなときは、いったん客観的に考えてみたほうがいい。自分の優位性はいかほどのものか。いや、本当に優位なのか? そもそも同じチームの一員ならば、役割の違いこそあれ、上下の関係など成り立つのか? と。
少なくとも『ドラゴン桜2』の制作においては、現場のナマの感覚を有している東大生のほうが優位だし、彼らの言うことこそ絶対的に正しいという判断は揺るがない。