安楽死は同調圧力社会と相性が悪い
実際に安楽死や尊厳死が法制化され、日常的に行われるようになった場合、難病や障害を抱えた特別な配慮を必要とする立場の人たちが家族や社会の負担とされ、安楽死を自ら選択させられるという可能性が大いにあります。
同調圧力が強い日本では、たとえ本人が死ぬのを嫌がっていても、「周囲の圧力によって無理やり同意させられる」可能性が高いですし、「自ら死を選択した人を、立派だと褒め称える」ような世論が醸成されていくかもしれません。
今後、日本は驚くほどの速さで、高齢化社会を迎えます。今は若く健康で、バリバリ働いている人でも、いずれ病気になったり、年老いたり、あるいは失業して無職になるなど弱い立場に置かれるかもしれないということを、もっと自覚するべきです。
「生きる権利」がないがしろにされる社会
そうしたまっとうな想像力をもたなくては、財政難や労働力不足といった民衆の不安に訴えかけるような「ポピュリズム医療政策」へと簡単に流されてしまうでしょう。そうなると、社会的な弱者は自己責任の名の下に、ますます医療から遠ざかってしまいます。「死ぬ権利」ばかりに注目が集まり、「生きる権利」がないがしろにされる社会ほど、生きづらいものはありません。自己決定などしなくとも、すべての人はいずれ死んでいきます。
AIが大部分の労働を代替するような時代になれば、ほとんどの労働者は資本主義的な観点から見て「役立たずの人間」になるでしょう。繰り返しになりますが、人は「何かの役に立つ」ためや、「何らかの目的を達成する」ために生きているわけではないのです。