死亡1カ月前にかかる医療費は国民医療費の3.5%

【落合】背に腹はかえられないから削ろうという動きは出てますよね。実際に、このままだと社会保障制度が崩壊しかねないから、後期高齢者の医療費を二割負担にしようという政策もある。議員さんや官僚の方々とよく話しているのは、今の後期高齢者にそれを納得させるのは難しくても、これから後期高齢者になる層――今の六十五歳から七十四歳の層――にどれだけ納得していただけるかが一つのキーになるんじゃないか、と。今の長期政権であればそれが実現できるんじゃないかと思うんですよね。

【古市】財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一カ月。だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一カ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一カ月は必要ないんじゃないですか、と。

(落合陽一×古市憲寿「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」『文學界』2019年1月号

古市氏が「必要ないんじゃないですか」と言う終末期医療ですが、実際に死亡前1カ月にかかる費用は、医療経済研究機構が2000年に発表した報告書では、国民医療費の3.5%程度です。胃ろうやその他の延命治療をするかどうかは、本人や家族の自己決定権に属しているので、他人がとやかく言うべきことではありません。

重症患者に寄り添う家族
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人は経済合理性を最大化するために生きているわけではない

そもそも「死ぬ1カ月前」というのは死んだ後で初めてわかる結果論であって、死ぬ前にはわかりません。終末期医療の自己決定権はなるべく認めたくないにもかかわらず、「死の自己決定権」は認めようというのは、経済合理性だけを考えているからです。人は経済合理性を最大化するために、生きているわけではありません。

「議員さんや官僚の方々とよく話している」「財務省の友だち」などという、彼らの言葉の端々から感じられるのはエリート意識です。もっといえば「選民意識」すら感じられます。社会の中枢に近い場所にいる自分たちが、凡百の市民の「本音」をすくい取って政策として実現させようとしているのだという優越感が、社会保障費や終末期医療への雑な現状認識を招いているのかもしれません。