前代未聞のスピンオフ

新日本プロレスと専属契約を交わしたホークは、それから約3年間、日本のリングで年間20週間のツアー・スケジュールをこなすようになった。外国人選手と日本人選手がタッグを組んで試合をすること自体はそれほどめずらしくはなかったが、ホークほどのステータスのスーパースターが日本人選手と正式にタッグチームを結成して活動した前例はなかったし、ロード・ウォリアーズのようなひとつの時代を代表する正真正銘の“ブランド品”のスピンオフが日本の団体でプロデュースされたこともなかった。

ホークは、佐々木健介という自分よりもひと世代若いレスラーに興味を持った。

「まったくちがうなにか。ケンスキーはあらゆる面でアニマルと比較されてしまうだろ。ビジュアルは似ているかもしれないけど、やっていることも、求められているものもまったくちがう。すぐに気がついたよ。ウォリアーズのマネをしてはいけないんだってね」

「またプロレスがおもしろくなってきたんだ」

ホークのイメージカラーは黒と赤で、健介のそれは黒とグリーン。シルバーの金属スパイクをあしらったアメリカンフットボールのプロテクター型のリング・コスチューム、顔のペインティング、黒のロングタイツ、黒のバイカーブーツはロード・ウォリアーズのイメージを踏襲したものだったが、タッグチームとしてのカラーはジャパン仕様のオリジナルで、ホークは兄貴分のような立ち位置で健介のメインイベンターとしての自我の覚醒を見守った。

「それから……、オレにとってはこれがいちばん大きなポイントだったんだけど、ケンスキーとタッグを組むことでまたプロレスがおもしろくなってきたんだ。彼を見ていたら、体も心も若返ったような、そんな感覚になった」

ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー(佐々木健介)のタッグチーム、ザ・ヘルレイザースは平成の日本のプロレス・シーンの“ヒット作”となった。