アメリカのプロレス史上最もビッグなタッグチーム「ロード・ウォリアーズ」。その片割れ、ホークがタッグ解消後に選んだパートナーは、日本の若手レスラー・佐々木健介だった。伝説のタッグチーム「ヘルレイザーズ」の誕生秘話とは——。

※本稿は、斎藤文彦『忘れじの外国人レスラー伝』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

日本武道館で行われた全日本プロレスのイベントで、リングに登場したザ・ロード・ウォリアーズの2人、ホーク(左)とアニマル(1987年3月12日)
写真=アフロ
日本武道館で行われた全日本プロレスのイベントで、リングに登場したザ・ロード・ウォリアーズの2人、ホーク(左)とアニマル(1987年3月12日)

立っているだけで観客のハートを揺さぶる存在

モヒカン刈りがアニマルで、逆モヒカン刈りがホーク。ザ・ロード・ウォリアーズは、だれがなんといおうとアメリカのプロレス史上、もっともビッグなタッグチームである。実力と人気、キャラクターのオリジナル性、世代を超えた影響力とどれをとっても比類なきスーパースター。そこに立っているだけで観客のハートを揺さぶる、ギリシャ彫刻のような芸術的な肉体を持った男たちだった。

ロード・ウォリアーズはある日、偶然のような感じで誕生した。

デビュー当時のプロフィルは「シカゴのスラム街育ちで、少年時代はネズミを食って暮らしていた」というものだったが、もちろんこれは完ぺきなファンタジーで、ホーク=マイク・ヘグストランドは1957(昭和32)年1月26日生まれ、アニマル=ジョー・ローリナイティスは60年9月12日生まれで、ふたりとも北部ミネソタのわりとふつうの家庭で育った。

師匠のエディ・シャーキーは、レスリング・スクールの同期生だったホークとリック・ルードにタッグチームを組ませるつもりだったが、ジョージアのプロモーター、オレイ・アンダーソンはホークとアニマルのコンビのほうがおもしろそうだと考えた。

オレイは「じゃあ、キミとキミね」といってふたりを指さした。もしも、このときオレイ・アンダーソンが体が大きくて、運動神経がよくて、まだメジャー団体のリングを経験していない(ギャラの安い)ルーキーを探していなかったら、ロード・ウォリアーズはこの世に存在していなかった。