まる9年間、年間250~300試合のツアー

ロード・ウォリアーズは、年間250~300試合のツアー・スケジュールをまる9年間つづけたあと、コンビを解散し、それぞれ別々の道を歩もうとしたことがあった。タッグチームとしての最後の試合は1992(平成4)年8月、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催された世界最大のプロレス団体WWEのスーパーイベント“サマースラム”だった。

プロレスのリング
写真=iStock.com/Photoraidz
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WWE在籍時のチーム名はLOD(リージョン・オブ・ドゥーム)。ロード・ウォリアーズというタッグチームの版権・知的所有権はロード・ウォリアーズのもので、リージョン・オブ・ドゥームはタイタン・スポーツ社(WWEの親会社=当時)が保有する登録商標。ホークとアニマルは、WWEのリングでは“LOD”というイニシャルがプリントされたおそろいの黒のロングタイツをはいていた。

ホークはその1年ほどまえからWWEとの契約を解除したがっていた。しかし、アニマルは残留を強く主張し、ことあるごとにふたりは衝突をくり返した。ふたりのケンカを収めるために、休業していたマネジャーのポール・エラリングが現場に復帰してきた。やっぱり、あくまでもホークとアニマルがいっしょじゃないとビジネスにならなかった。

黄金タッグとしての活動を一時休止

ウェンブリー・スタジアムでの試合が終わった翌日、ホークは「こんなとこにはいられない」といって予定されていたテレビ撮りの日程をすっぽかして、さっさとひとりでアメリカへ帰ってしまった。

相棒のホークが単独行動に出たことで、なんとなくとり残されたアニマルも戦線離脱――長期欠場を選択した。尾てい骨にヒビが入ったまま試合をつづけていたし、左ヒジも手術をしなければならない状態だった。だいたい、リングに上がることが楽しくなくなっていた。

ホークはすっかり疲れきっていた。ほんのしばらくのあいだでいいからノーマルな生活がしたかった。ふたりの兄とすぐ下の弟はちゃんと結婚をしていて、みんな子どももいた。しばらく会わないでいるうちに甥っ子たちもめいっ子たちもどんどん大きくなっていた。