問題は大教室授業そのものにある

そういう学生にとって、大教室のオンライン授業が楽だというのは、そもそも大教室授業そのものが間違っているのです。大教室でできる授業とは、決まった知識を教えるとか、例えばコンピューターの使い方のような基礎技術習得型、あるいは極めてベーシックな授業であれば、大教室でもいいのかもしれない。

むしろそれだったら、非常に教え方のうまい先生が、優れた教育コンテンツを作ってオンデマンド配信し、わからないことがあれば、TA(ティーチングアシスタント=授業をサポートするスタッフで、主に大学院生)が少人数の補習授業を行うという体制が一番効率的なんです。

そうすると、かなりの大学の先生は要らなくなるんですよ。一人一人がバラバラに80人とか100人単位で教えなくてよくなる。オンラインを徹底するんだったら、ちゃんとお金を投資して、この先生の授業は絶対面白い、学生のためになるっていう完璧なコンテンツを作って、5000人や1万人に対してオンデマンド配信をすればいいし、大学がそっちに行く可能性は十分あると思います。

ところが今は、一つの大学に何百人かの先生がいて、それぞれバラバラに基礎的な科目を担当する。いい先生もいるだろうが、そうじゃない先生もいて、授業に出来不出来があるような中で、学生は試験対策としてとりあえず勉強するが、それ以上のことは何も学ばない。そういう典型的な大教室授業の現状がすでにあるのではないか。そこまで劣化しているのならば、学生が「オンラインになっても同じだよね」と諦めていても不思議ではない。そうすると、労力が少なくて、単位が取れるオンデマンド配信型がいいとなってしまい、それは必ずしも教育のクオリティーの向上とは結びついていない。

履修科目数を今の半分以下に減らすべき

——オンライン中心の授業に対して、少なくない先生や学生から疑問の声が上がっています。それはオンライン化そのものよりも、大教室形式の授業など、従来の大学のあり方自体に問題が埋め込まれていたということでしょうか。

僕はそう思いますよ。大教室で授業を受ける形が一部残ってもいいけれど、大学の授業のほとんどを、少人数型で先生と学生がインタラクティブに議論をし合う形に変えていく必要があると思います。そうした時に、日本の大学が一番、根本的に変えなくちゃいけないポイントがあるんですね。それは、1人の学生が一つの学期に履修する科目の数を、今の半分以下に減らすことです。これを変えない限り、もう大学といえないと思います。