1998年に起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」
今から23年前の1998年、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」と呼ばれる汚職事件が起きた。大蔵省(現・財務省)の官僚たちが、銀行など監督対象の事業者から繰り返し接待を受けていたという問題だった。
しばしば接待の場として使われていたのが、新宿歌舞伎町にあったしゃぶしゃぶ店で、給仕する女性が下着を着けず、客はスカートの中を覗き見できるという趣向が高級官僚たちに受けていたことから、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」という異名をとった。高級官僚と破廉恥な店の取り合わせが世の中の関心と批判を呼び、店で接待を受けた官僚たちの名前がメディアによって次々と明らかになると、官僚と業者の癒着に国民の怒りが爆発した。
事件はひとつの汚職事件から発覚した。東京地検特捜部が日本道路公団の外債発行の幹事証券選定で、野村証券から贈賄があったとして、大蔵省OBの道路公団理事と野村証券元副社長らを逮捕した。その後、捜査は銀行や証券会社に対する便宜供与に及び、大蔵官僚が次々と逮捕されていった。直接の容疑は収賄を受けて検査日程など機密情報を漏らしたというものだったが、世間の関心は業者による過剰な接待に向いた。
「役所の中の役所」大蔵省の終わり
大蔵省に家宅捜査が入った。当時の大蔵省は「役所の中の役所」とされ、大蔵官僚の自尊心も高かった。大蔵省の検査官が1月26日に逮捕されると、当時の三塚博大蔵大臣は1月28日に辞任に追い込まれた。3月11日には日本銀行の課長が逮捕され、3月20日には大蔵省事務次官から日本銀行総裁になっていた松下康雄氏が総裁を辞任した。
大蔵省は4月末に内部調査結果を公表。銀行局審議官を停職、証券局長を減給にするなど、112人に処分を行った。処分は停職1人、減給17人、戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人に及んだ。事件の最中、官僚で自殺した人も出た。局長も審議官も次官候補と見なされていたが、処分を受けて退職した。
起訴されたのは7人で、有罪ながらいずれも執行猶予付きにとどまったが、この事件をきっかけに、大蔵省への世の中の批判は一気に高まった。国民の批判を恐れるかのように、大蔵省は正門の鉄の扉を固く閉ざした。結局、大蔵省は財政と金融の業務を分離され、大蔵省という名前も失った。首相経験者だった宮澤喜一大蔵大臣が、初代財務大臣に就任したが、財務省正門に掛け替える「財務省」の看板の揮毫を断った。宮澤氏は大蔵官僚OBで、「大蔵省」が消えることに強い抵抗感があったのだろう。