志賀氏と同期入社の西川氏は「いつも苦々しい思いで見ていた」

志賀氏は和歌山県生まれで大阪府立大卒。日産入社後は、車の販売ではなくマリーン部に配属された。さらに部下のいない一人支社のインドネシアに駐在するなど、「傍流」を歩んできた。

一方の西川氏は東京出身で東大卒。辻義文社長・会長の秘書や購買部門などを歴任し、エリート街道を歩んできた。「役所より役所」と揶揄やゆされた日産・東大閥の官僚組織の中心にいた人物だ。

「ゴーンにうまく取り入っている志賀氏を同期入社の西川氏はいつも苦々しい思いで見ていた」。多くの日産幹部にはそう見えていた。「志賀氏がいつかぼろを出すのを待っていた」と語る日産幹部OBもいる。

そしてついにその日がきた。2013年だ。満を持して出した電気自動車「リーフ」の販売や北米でも販売奨励金頼みのシェア拡大戦略で業績が悪化。「コミットメント経営」を標榜するゴーン元会長の顔に泥を塗ることになったため、志賀氏は実質的に更迭となる副会長に「棚上げ」され、経営の第一線から退いた。後任に就いたのが西川氏だ。

「ゴーンから叱責を受けないために、系列メーカーを売却」

業績悪化の責任は西川氏にもある。実質的に戦略を取り仕切っていたのが西川氏だったからだ。北米のインセンティブはトヨタ自動車やホンダに比べて2~3倍にも膨らんだ。

2018年、日産自動車・SUVディーラーの新車。日産はルノー日産三菱アライアンスに加盟している
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アジアへの過度な傾斜もあだになり、国内での新車の投入も遅れた。そのため西川氏に対して、「コスト削減のために系列の部品メーカーに過度な原価低減を押しつけるだけで、ひたすら拡大路線に走るゴーンの暴走を止められなかった」(大手系列部品メーカー幹部)という声が出たのもむべなるかな、だ。

財務がひとたび悪化すれば、連結子会社のカルソニックカンセイ(現・マレリ)を海外の投資ファンドに、車載用電池の戦略子会社だったNECとの共同出資会社オートモーティブエナジーサプライ(AESC)も中国のエンビジョングループに売却。その資金をリストラの原資に回した。

その西川氏に対して系列部品メーカーに転じた日産OBは、胸の内をこう明かす。

「購買を長くやったと言っても部品メーカーに足を運び、一緒に原価低減のための取り組みなどをするわけでもない。本社の机の上で、数字を見ながら利益が目標に達しなければ系列の部品メーカーを売却して穴埋めしただけの人物だ。それもゴーンから叱責を受けないために」