「結局、最後は部品メーカーや工場従業員にしわ寄せが来る」
「深く、本当に深く反省している。私の人生の中で痛恨の汚点だ。後味の悪さはずっと残っている」――。
日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が合計で約91億円に上る役員報酬を有価証券報告書に開示しなかった金融商品取引法違反の罪の共犯として、元代表取締役のグレッグ・ケリー被告が東京地裁で裁かれている。1月12日、その公判で日産ナンバー2だった志賀俊之元COO(最高執行責任者)は、神妙な面持ちでこう口にした。
この証言に際して、日産の現役社員や取引先の部品メーカーの幹部たちは異口同音に「何を今さら」とつぶやいたという。
日産は一連の経営の混乱と、ゴーン時代の拡大路線のツケがたたって、2019年度と2020年度に2連続で7000億円近い最終赤字となる。
そのリストラのあおりを受けて工場閉鎖の報道が流れたスペイン工場では一部の従業員が「暴徒化」し、工場で火災が起きるなど、現場は混乱している。日本国内でも取引部品メーカーは多くが希望退職者を募っている。
日産の本社がある神奈川県内の系列部品メーカーの幹部は、「何をいまさら」という思いから、なかば諦めたような表情で「在任中に多くの報酬を得て、財界活動などで偉そうな発言をしていたが、そうした連中にはおとがめがなく、結局、最後は部品メーカーや工場従業員にしわ寄せが来る」と、不満を吐露する。
ゴーン氏と志賀氏の10年間を「恨めしく」見ていた人物
志賀氏は「ゴーン・チルドレンの筆頭株」と社内で言われる。そのゴーン元会長と志賀氏が最初に出会ったのは、日産が経営難に陥った1998年秋だ。
銀行からも見放された中で、日産は独ダイムラー、米フォード・モーター、そして仏ルノーと秘密裏に資本提携交渉を進めていた。志賀氏は仏ルノーとの交渉を担当していた。その際にルノー側からゴーン氏を紹介されたのが最初の出会いだった。
結局、日産は一番規模が小さい仏ルノーを資本提携先に選んだ。「ダイムラーやフォードが相手となったらのみ込まれる。日本の技術がほしいルノーであれば対等関係で事業を続けられる」(当時の日産幹部)というのが理由だ。それ以来、ゴーン元会長と志賀氏は2005年から10年間、トップとそれを支えるナンバー2として、強い関係で結ばれることになった。
こうしたゴーン氏―志賀氏の関係を「恨めしく」見ていた人物がいた。志賀氏の後を継いでCOO、そして社長になった西川広人氏だ。