39歳の女性が1歳半の時に父親が他の女と駆け落ち。以後、当時還暦前後の父方の祖父母に育てられた。身の回りや就職の世話などをしてくれた祖母も現在92歳になり、認知症の症状も。女性は「ろくでなし、人間のクズ、貧乏神」と罵倒されることもあるが、全力介護の覚悟がブレないワケとは——(前編/全2回)。
泣いているアジアの赤ちゃん
写真=iStock.com/Wenbin
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

1歳半の私を捨て父親が駆け落ち……祖父母に育てられた39歳女性

関西在住の雨宮桜さん(仮名)は現在39歳の独身。その人生は筆舌に尽くしがたいほど曲がりくねったものだった。

最初のターニングポイントは、やっと立ったか立たないかという1歳5カ月の頃。父親が突如、女性と駆け落ちした。もちろん雨宮さんにその記憶はないが、後で人に聞かされた。

父親の身勝手極まりない行動に激怒した母親の両親は、母親を家に連れ戻す。その際、母親は、「娘を連れて行く!」と言い張ったが、父方の祖父母は、雨宮さんを渡さなかった。父方の祖父母にしたら息子の不貞がすべての原因だが、大事な孫だったのだ。

結局、父親はその女性と再婚。雨宮さんは、当時61歳の祖父、57歳の祖母に育てられることになった。

祖父は箔押し職人、祖母は祖父の仕事を手伝っていた。祖父は、30代の頃に肺結核を患い、「3カ月」の余命宣告を受けていた。しかし、それから祖母は祖父のぶんまで働き、身体に良いと聞いたものはすべて祖父に与え、寝る間も惜しんで看病し続けたところ、祖父はその後も肺気腫や気胸など、肺の病気を患いながらも、67歳まで生きることができた。祖母が祖父の人生を約2倍に延ばしたのだった。

「私にとって父母は他人。一緒に暮らしたい気持ちや恨みはない」

雨宮さんは現在まで、実の母親とは一度も会っていない。離れ離れになって38年。母方の祖父母が会うことを許さなかったのか、母親の意思で会わないようにしていたのかはわからない。一方、父親と再婚相手は、雨宮さんが10歳になる頃までは時々会っていたが、徐々に疎遠になっていった。

「私にとって父母は、他人のような感覚です。『もし父が駆け落ちなんてしなかったら?』とか、『もし実の母と暮らしていたら?』など、思ったことはありますが、私には両親と一緒に暮らす生活が想像できませんし、『一緒に暮らしたい』という気持ちも、『恨んでいる』という感情もありません」

祖父母には、雨宮さんの父親の上に娘が1人おり、農家に嫁ぎ、近所で暮らしていた。父親にとっての姉、雨宮さんにとっての伯母は、雨宮さんが成人するまで、金銭的に援助してくれた。