3年前、認知症の祖母(92)は入院した途端、要介護2が5に悪化した。本人が望まなかった入院を強行したため暴言や暴力、抑うつ、幻覚、妄想、せん妄といった症状が強くなった。だが、39歳の孫娘は1歳半の自分を両親から引き取り育ててくれた命の恩人である祖母をケア。すると、徐々に穏やかな人間らしさを取り戻すようになった——(後編/全2回)。
認知症の女性
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絶望感…92歳祖母の認知症は悪化、自分は人員整理でパート解雇

前編から続く

3年前、92歳の祖母に認知症の症状が出始めた。伯母の強い勧めもあっていったん入院することになったが、入院後、祖母の状態は悪くなるばかり。せん妄がひどくなり、大声を出す、暴言を吐く、暴力行為をするなど、悪化の一途を辿り、認知力も急激に低下していった。

介護をするのは孫娘にあたる当時37歳の雨宮桜さん(関西在住・独身)。1歳半の時に父親が駆け落ちし、一家離散状態に。育ての親となってくれた祖母は恩人だ。

祖母の入院中、雨宮さんはパートとして勤めていた会社を解雇されていた。事業縮小による人員整理だった。それでも祖母の入院中に求職活動を行い、就職先が決まったが、祖母の病状が悪化したため、2カ月も経たずに離職した。

「祖母が暴れるのは入院前からでしたが、入院という大きな環境の変化と、『もう家に帰れないかもしれない』という不安の中で、症状が悪化したようです。暴れてしまったことによって強い薬に変えられ、別人のようになってしまいました。私は、処方された薬が合っていなかったのではないか、また医師のピック病(認知症)という診断は正しかったのかと疑っています」

1歳半の自分を引き取り育ててくれた祖母の「38年間の恩」に報いたい

雨宮さんは、もともと入院させる気はなかったうえ、病院や医師への不信感がつのり、「祖母を退院させたい」「自分が家で介護したい」ということを主治医に掛け合い続けた。

主治医からは何度も「在宅介護は無理です」と反対され、「精神科の病院に転院するか、このまま入院を続けるかの2択しかない」「いずれにしても、管に繋がれたまま眠らされ、ただ生きているだけの状態になりますが……」と冷たく突き放された。

それでも雨宮さんは、「どんな状態になっても絶対に連れて帰る。覚悟は変わらない」と決意を伝えてきた。自分が歩くか歩かないかの頃から祖父とともに育ててくれた祖母を介護したい。その一心で食い下がったのだ。

その熱意が通じたのか、ほどなくして退院が決まる。しかし退院前の認定調査では、祖母は要介護5(要介護認定で最も重い段階)に上がっていた。入院前は要介護2だったが、たった3ヶ月で急に5にまで上がってしまったのだ。雨宮さんは退院後の自宅での介護生活を見据えて玄関や廊下に介護用具の設置を依頼したが、介護用具会社のスタッフも、あまりの急展開に驚いていた。

「私は最初から施設に入れる気も、入院させる気もなかったので、家に連れて帰ることは当然のこと。他に選択肢はありませんでした。祖母の退院が決まったときから、私は喜びとともに、淡い期待と希望を持っていました」

しかし、そんな期待と希望はいとも簡単に打ち砕かれた。