24年前、最重度知的障害・自閉症の息子を出産した
関東地方に在住の清水陽子さん(仮名・46歳・既婚)は、高校卒業後、銀行に就職。7歳年上の夫と知り合い、1996年に22歳で結婚。翌年妊娠が分かると、出産のタイミングで退職することにした。
結局出産の1週間前まで働いていた清水さんだったが、5月に破水が起こり、産院へ行くと、看護師に「これは(普通の)破水じゃないよ」と言われて帰宅。翌日も破水があり、産院へ行くと、主治医に「何でもっと早く来なかったの? 生まれても、知的障害とか、肺炎とか、髄膜炎とかが出るかもしれないよ?」と言われ、分娩室へ向かいながら、内心大パニックになった。
「知的障害とか自閉症は、脳に明確な異常が見られるわけではなく、産後しばらくは違いがわかりません。しかし成長するにつれて、他の子との差が明確に現れてきて、『うちの子は何でこんなこともできないの?』と思うことが多くなっていきました」
息子は、抱っこしてもおんぶしてものけ反るため、おんぶ紐をすり抜けて落ちてしまいそうで怖かった清水さんは、常にぎゅっと強く抱っこしていた。
また、話しかけても、名前を呼んでも相手の顔を見ようとしない。絵本を見せても、「犬はどれ?」と訊ねても、興味を示さず、ただ大泣きするだけ。
1歳半検診のとき、まだ言葉が出なかった息子は、小児科へかかるようすすめられる。ところが、脳波を調べたり、CTを撮ったりしても異常は見られず、「3歳にならないと診断はできないので、それまでは成長過程を見守りましょう」と医師に言われた。
「当時(1990年代後半)は手元にパソコンもスマホもなく、医師からも役所の保健師さんからもお母さん友だちからも、みんな母親の私に気を遣ってか、『どこも悪くないよ』『普通だよ』と言われてきましたが、それが辛かった。私も夫も『おかしい』と思っているのに、何がおかしいのかはわからず、誰も教えてくれず、ずっと悶々としているのが地獄のように苦しかったです」
銀行員の夫は朝早くに出勤し、夜遅くまで帰ってこない。清水さんは、朝から晩までグズグズな息子に振り回されてクタクタになっており、夫が帰宅する頃にはぐったり。部屋の中は、息子が暴れて壊したり、食事をこぼしたりしたあと、清水さんが疲れ果てて、片付けられずにそのままになっていることもしばしばだった。
そんな中、息子が2歳になった頃、清水さんは大量に下血。夫の運転で病院を受診すると、大腸からの出血と分かり、大学病院に入院することに。医師から原因はストレスだと言われ、入院中は車で2時間くらいのところにある、清水さんの実家に息子を預けた。
やがて、3歳が目前に迫る頃、児童相談所を訪れると、息子をひと目見た児童相談所の所長が言った。
「お母さん、この子は自閉症ですね」
それを聞いた瞬間、清水さんは所長の手を握り、「やっと言ってくれました! ありがとう!」と固く握手をしていた。3歳になったとき、ついた診断名は、「知的障害を含む自閉症」。知的障害のレベルは最重度で、言葉が出ず、人とコミュニケーションが取れず、こだわりが強いという特徴があった。