「コンサートスタッフをやっていた時に感じた、数々の表現者の言葉や音の響きを自分なりに表現しようとしていたら、どんどん現場と合わなくなりました」

決定的だったのは、ある有名クラブで、著名なヴォーカリストと一緒にライブをした時のこと。

その日の自分のできが不満だった片山さんは、ライブ終了後に万雷の拍手を受け、お客さんに「すごくよかったです」とサインを求められた時に、思わず「え、なにがよかったんですか?」と聞き返した。

この時、湧き上がってくる強烈な違和感とともに、こう思った。

「これ、あかんな」

「本当の音」を求めて

それでも、これだ、という音を弾きたいという想いはあったが、思うようにいかない。「やりたいけど、できない」という悔しさだけが募っていった。その時に、ふと気が付いた。

「僕にはリンゴ売りの方が、ジャズみたいにできる」

リンゴ売りは、路上で道行く人たちと言葉を交わす。その言葉の意味ではなく、「本音」が通じ合う瞬間、距離がグッと縮まり、お客さんは財布を開く。片山さんが「リンゴを買いませんか?」と声をかけたら泣き出す人もいるし、時にはリンゴの売り買いを超えた関係が生まれる。

路上という舞台で始まる、ジャムセッション。お互いをまったく知らない者同士の出会いから生まれる、素の掛け合いだからこそ、片山さんが求める「本当の音」が鳴ることがあるのだ。

袋に入った商品と代金をやり取りする片山さん
撮影=川内イオ
リンゴを買った後に、若者は「ああ、今日はいい日だな」と呟いた。

例えば、僕が取材に行った日、路上で片山さんからリンゴを買ったジャージ姿の若者が、去り際、気持ちよさそうに空を見上げてつぶやいた。

「ああ、今日はいい日だな」

たまたまその呟きを聞くことができた僕は、片山さんが言いたいことが少しわかった気がした。誰に言うでもなく、胸の奥からポコッと浮かんできたような彼の言葉は、「本当の音」だろう。

「自分の真ん中にいこう」

24歳でムカイ林檎店・大阪支店の店長につき、ジャズピアニストと二足のわらじで働いていた片山さんは、25歳の時に「リンゴ売りの方が、ジャズみたいにできる」と気づき、リンゴの行商一本に絞った。

15歳の時に九死に一生を得てから、やると決めたら、本気でやる。片山さんは、大阪支店だけで毎月1000万円、1年間に1億2000万円分のリンゴを売ることを目標に、がむしゃらに働いた。自分の周りやお客さんにも声をかけて仲間を増やし、3年目、ついに1カ月に1000万円を売り上げるようになった。

手のなかにある硬貨と500円札
撮影=川内イオ
500円札が出てくることも。

その時、大阪支店には「カリスマ」として片山さんを持ち上げるようなスタッフも増えていた。ある日、片山さんが外に出ようとすると、頼んでもいないのに靴をそろえたスタッフがいた。「そんなことは望んでない」とはっきり思った。

片山さんにとって、「行商は商売であり、表現」で、ジャズのように自由であることが行商の魅力である。表現を突き詰めて売り上げを伸ばしたことに達成感を覚えながらも、望まない上下関係に居心地の悪さを感じた時に、また、立ち止まった。

「自分の真ん中にいこう」

自分の真ん中とはなにか? ジャズピアニストに戻ること、別の表現の道に進むことも含め、深く潜行するように自問自答を繰り返していると、ある時、素直にこう思えた。

「僕の真ん中は、リンゴ売りだ」

それならリンゴ売りとして、もっと面白く生きたい。大阪の店を譲り渡し、支店がなかった東京に行って、ゼロから始めようと決めた。その時、子どもが3人いたが、なんの不安もなかった。