アフロが理由でリンゴ売りに

甲陽音楽学院は、中学、高校を出てから真剣に音楽を学びに来ている学生ばかりだった。2017年に所属するバンドがグラミー賞を取ったパーカッショニスト、小川慶太さんが同級生ということからも、レベルの高さがうかがえる。

小学校の時から学校になじめず、中学1年生で学校に別れを告げて働き始めた片山さんだったが、甲陽音楽学院での生活は充実していた。

「学校に行く目的があって、学校のなかに知りたいこともありましたから。小中学校にはそれがなかったんですよね。それに、なんで? と聞いたら答えてくれる人もいました(笑)」

茶色い木目調のアップライトピアノ
撮影=川内イオ
年季の入ったDRESDENのピアノは、片山さんの母方の祖母のもの。

神戸ではひとり暮らしをしていたから、生活費を稼がなくてはいけない。そこで始めたのが、リンゴ売りの行商だった。当時、帽子もかぶれないような巨大なアフロヘアをしていたため、ほかの仕事は軒並み断られ、唯一受け入れてくれたのが、行商スタイルでリンゴを売るムカイ林檎店だった。たまたま、バイト情報誌に載っていたのを見つけ、「アフロなんですけど大丈夫ですか?」と電話をしたら、「面白いやないか」と歓迎してくれたのだ。

仕事は今と変わらない。車にリンゴと関連商品を積み込み、路上で売る。最初は売り子のアシスタントで、お客さんの呼び込みをした。当時の日給は4000円で、自分が声をかけたお客さんがリンゴを買うと、1回につき100円もらえる。

13歳の頃からいろいろな仕事をしてきた片山さんは、できるか、できないか、ではなく、どうやるかを考えて、試行錯誤した。例えば、「いらっしゃい、いらっしゃい、リンゴ売ってますよ」と大きな声をあげるより、道行く人のなかのひとりに、視線を向け、目が合った時に声をかける。そうすると、立ち止まって話を聞いてくれる人も少なくなかった。

すぐに仕事に慣れた片山さんは、1日に平均で40~50人、多い時には60人を超える人にリンゴを買ってもらえるようになり、アシスタントを卒業して、独り立ちした。

ひとりでリンゴを売る場合の給料は、とてもシンプル。売り上げの4割が、売り子の収入になる。10万円売ったら、4万円もらえる計算だ。片山さんは、自分のなかで目標金額を決め、「できる限り早く売って、帰ってピアノの練習をする」という生活を送るようになった。

ジャズピアニストとして抱いた違和感

甲陽音楽学院の同級生はみな、在学中からプロのミュージシャンとして活動するようになり、片山さんもジャズピアニストとして少しずつ稼ぐようになった。その時、生活の中心はピアノで、いつ働くかも、どれぐらい働くかも、どう売るかも自由なリンゴの行商で、生活費を補っていた。

しかし、そのうちに「自分はショーとしてピアノを弾くのは向いていないんじゃないか」と感じるようになった。例えば、ジャズバーで仕事をしている時に、お客さんに「これを弾いてよ」とリクエストされても、弾きたくない。お客さんを楽しませるというより、音そのものに対する探求心のほうが強かった。

木箱の積まれた部屋でピアノを弾く片山さん
撮影=川内イオ
ピアノを弾く片山さん。