柳ジョージさんの公演の際には、2度も公演後の打ち上げに参加することになった。2度とも、柳さんから2つ隣の席だった。柳さんは驚くほど温かく接してくれて、それが不思議だったから、率直に聞いた。

「なんで単なるバイトの僕に、そんなに優しくしてくれるんですか?」

柳さんは、笑いながら言った。

「当たり前じゃないか」

その後になんの説明もなく、その一言だけだったが、片山さんには萬斎さんの時と同じように、それが「音」として、建前ではなく本当のことを言っていると伝わった。

本当の音は、耳ではなく、胸に響く。だから、余計な説明が要らないのだと知った15歳。

赤いリンゴを持ちチェックのマフラーを巻いた片山さん
撮影=川内イオ
リンゴを手に笑顔の片山さん。

電話1本で音楽学校に入学

その頃、父親の店の客やバイト先の人たちに「なにか表現をしたほうがいいんじゃないか」と勧められて始めたのが、ピアノだった。

母親がクラシックのピアニストで、家にピアノがあったというのも理由のひとつ。楽譜の通りに弾くことには興味を持てず、テーマのなかで自由に演奏し、それが評価されるジャズピアニストに憧れた。

楽譜が読めなかった片山さんは、知り合いのジャズバーに通い、ジャズピアニストの指の動きを目で覚えて、自宅で練習した。飲み屋街のママさんも、教えてくれた。

ある日、そのママさんに言われた。

「神戸に、バークリー音楽大学と提携してる学校があって、学歴不問で入学できるんだって。そこに行ったら?」
「いやいや、お金ないですもん」
「いつもみたいに交渉したら?」

なるほど、と思った片山さんは、すぐにその学校、甲陽音楽学院(現在は甲陽音楽&ダンス専門学校)に電話をした。そこで、自分がどういう暮らしをしているか、今ジャズを教わっていて、もっとジャズについて知りたい、本気でやりたいと訴えた。

すると、どういうわけかとんとん拍子で入学が決まった。それは、片山さん自身が「本当ですか⁉」と半信半疑になる展開だった。この時、片山さんの声が「本当の音=本音」として通じたのだ。

2001年、徳島市を出て、神戸の甲陽音楽学院に入学。18歳の春だった。

茶色いアップライトピアノ、黒いハット、真っ赤なリンゴの写真
撮影=川内イオ
世田谷区千歳台にあるムカイ林檎店。お店のなかにピアノがあり、たまに演奏する。